続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

金山康喜《聖ヘレニウスの鍋》

2015-04-01 06:34:06 | 美術ノート
 鍋を主題にするとは少々変っている、しかも歪(いびつ)で、持ち手も対称に位置してないので持ち上げたら中のものはこぼれ落ちてしまうという具合。あらかじめ少し傾いている感じもある。

 このテーブル、構成上こういう形になったのか・・・(何か、自分は向こう側の人間である、向こうから見ているという感じがしなくもない)、そして支えはいかにも貧弱、無造作である。(実際こんな脚では倒壊してしまう)

 空き瓶と残り少ない角砂糖の入った蓋付きの瓶、角砂糖はエネルギー源としての象徴であれば、自ずと暗示するものが見えてくる。自身の活力の衰退、精神でなく物理的な活力、生命の危機である。この器(瓶)は今にもテーブルから落下を余儀なくされる位置にある。むしろ落ちないのが不思議なギリギリの状態なのに、すっくと立たせて何事もないような平然さに描いている。

 聖ヘレニウスの鍋・・・聖(優れた人=わたし)は屁霊似有子・果だと言っているのではないか。屁、あるいは霊(幽霊)に似た有(存在)の子(両親から生まれた者)の果(結末)だと。自嘲と絶望が混在した命名だと察する。

 ナイフは尖って、まるで自分を突き刺すことを暗示しているような鋭さである。画面の中に際立つ白さを見せているナイフは、死(自殺)を予期させる。あくまでも予期であって願望ではない。それにしても痛みを感じさせる鋭利なナイフには、もの悲しい緊迫感がある。

 背景(周囲の空気)には何(遠近)もなく、ただ、もやもやとした混濁の彩色があるばかり・・・。

 作品(オブジェ)は意味を隠し内包された叫びが充満しているが、それを平然と隠蔽し作品化している凄まじさが金山康喜の眼差しである。
 正視できない慟哭に震えるばかりである。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『冬のスケッチ』70。

2015-04-01 06:25:51 | 宮沢賢治
        *
  これはこれ、はがねをなせる
  やみの夜のなつかしき灰いろなり
  そらよりは桐をふらしたれば
  まちの灯は青く見え
  らんかんは夢みたり
  又、鳥そらの方に鳴きて
  川水鳴りぬ、これはこれ
  まことのやみの灰いろなり


☆野(自然のまま)に怪(疑問に思う)謀(はかりごと)を問う章(文章)を兼ねている。
 無(なにもない)幽(死者の世界)を諜(さぐる)法(手だて)は迷(判断がつきかねる)。
 潜(ひそむもの)を推しはかり、冥(死者の世界)を開ける。

『城』1924。

2015-04-01 06:20:32 | カフカ覚書
わたしは、それ以上のことは何もしなかったけれど、あんたのことにかんしては、ちゃんとつぎのようなことを嗅ぎつけたのさ。つまりあの男が言い寄ったのは(お内儀さんは、こんないやらしい文句を使いましの)、


☆それ以上のことはしなかったけれど、わたしについて次のようなことを嗅ぎつけました。(わたしに近づきあなたは恥ずべき言葉を使いました)