金山康喜の作品は「初めに意図ありき」である。むしろそれを隠蔽すべく構図やバランス、彩色や質感といったものを配置し、それらモチーフの機能に仕掛けを施す。そして物語は動き出すという具合である。
青は深い青、宙を突き抜けるような透明なブルーであってはいけない。あくまでも深い海の底の鬱積、しかし凄烈な夢の心地を残す青である必要がある。なぜなら、未来への夢想は願望でもあるのだから。
黄色や白はレモンのフレッシュ・純粋の処女性であり、悲しみと絶望がそれを翳らせてしまう。刻々と迫る時間の猶予を暗示する置時計は作品の中で沈思の支点である。
コーヒーミルの取っ手を回せば、すべてが押し倒されてしまう。何かの秘密が一つでも解体されれば世界はその瞬間崩壊を余儀なくされる・・・そんなサスペンス仕立ての哀愁。
火は燃えているか・・・ロウソク・マッチ・コンロ(ランプ)・果ては焼栗屋の屋台のガス。
燃える・・・生命、恋愛、情熱への飽くなき未練と躊躇、そして深い絶望の影。
金山康喜の作品は鑑賞者を酔わせる情念がある。誰もが抱く希望と不安が交叉する哀愁が、あの青の中に漂流している、活きている。美しく凛とした品のいい青(作品)の中にある青春の光と影が、鑑賞者を誘って離さない魅力を放っている。
青は深い青、宙を突き抜けるような透明なブルーであってはいけない。あくまでも深い海の底の鬱積、しかし凄烈な夢の心地を残す青である必要がある。なぜなら、未来への夢想は願望でもあるのだから。
黄色や白はレモンのフレッシュ・純粋の処女性であり、悲しみと絶望がそれを翳らせてしまう。刻々と迫る時間の猶予を暗示する置時計は作品の中で沈思の支点である。
コーヒーミルの取っ手を回せば、すべてが押し倒されてしまう。何かの秘密が一つでも解体されれば世界はその瞬間崩壊を余儀なくされる・・・そんなサスペンス仕立ての哀愁。
火は燃えているか・・・ロウソク・マッチ・コンロ(ランプ)・果ては焼栗屋の屋台のガス。
燃える・・・生命、恋愛、情熱への飽くなき未練と躊躇、そして深い絶望の影。
金山康喜の作品は鑑賞者を酔わせる情念がある。誰もが抱く希望と不安が交叉する哀愁が、あの青の中に漂流している、活きている。美しく凛とした品のいい青(作品)の中にある青春の光と影が、鑑賞者を誘って離さない魅力を放っている。