続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

金山康喜《静物P〔天秤のある静物〕》

2015-04-11 06:48:23 | 美術ノート
 比較的安定し、明るい印象を与える作品である。
 吊るされた純白の電球は、垂直に立った純白の水差しと至近距離にある。一本の線、あるいは一体化しているようにさえ見える近さで怪しい緊張感を醸し出している。
 ガラスの器の中のフレッシュなレモンの鮮やかな黄色、テーブルの黄色も若干彩度を落としてはいるけれど暗さはなく、温かく柔らかいムードであり、視覚上の問題も見られない。手前の青いビンも垂直に立ち、窓らしき開口部も特別な奇異はない。しかし、開口部には閉じるべき窓としての要因に欠けている。外部は闇である。
 水差しとレモンの周囲は控えめだが赤く縁取られ、沸き立つ空気感を提示している。白い電球にもそれは微妙に伝わっているけれど、手前の青いビンと同じ彩色のブルーである。柔らかく溶け入りそうな上気したブルーとも思える。

 ところで肝心の天秤、この絵の角度では均衡を保っているように見える。しかし、天秤だけに目を凝らすと、左がわずかに下がっている。全く同じ空の容器にしか見えないが、明らかに左(片方)は重さを暗示している。
 白い水差しをよく見ると、背後に黒い蓋付きのビンが潜んでいる。これは何だろう、不安、不吉の予兆のような魔的な物体。

 この作品を、まるで二つに裂くような線、開口部の左の線と手前の青いビンの右の線はほぼ一直線である。


 天秤・・・二つを量るもの、この危うい均衡を極めて精密に、どちらともつかない、否、結論は出ているのだという風に描いている。外部の闇に通じる開口部(窓)は逃避のための空間だろうか。
 妖しく燃える恋は成就したかのように見える。しかし、この恋には深い苦悩の影が潜んでいる。もちろん、恋などとは一言も言ってはいない。そこに金山康喜のニヒルを感じる。(どうにでも見てください)と言っているような・・・。
 今の自分と将来(未来)の自分・・・他にも天秤にかけてみたい思いはあるかもしれない。

 鑑賞者の情感を烈しく揺さぶる魔力を秘めながら冷静に沈黙している。・・・金山康喜の胸を叩いてみたい、そういう作品である。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『冬のスケッチ』80。

2015-04-11 06:39:02 | 宮沢賢治
        *
  つつましく肩をすぼめし家並みに
  さかまきひかるしろのくも。
        *
  雲のしらが 光りてうづまきぬ
        *
  なまこぐものへり
  あまりにもしろびかり
  まぶしさに
  目もあかれず。


☆現われる過(あやまち)を併(ならべる)運(めぐりあわせ)の考えを黙っている。 

『城』1934。

2015-04-11 06:21:51 | カフカ覚書
お内儀さんは、そう言うのです。ですから、わたしが縉紳館の職を失ったところで、あなたにとってはどうだっていいのです。また、橋屋を出ていかなくてはならなくなっても、こんな辛い学校の小使いの仕事をさせられるような羽目になることだって、みんなどうでもよいことなのです。


☆それゆえ、わたしは無関心なのです。無言の大群のハロー(死の入口)など、どうでもいいのです。ハロー(死の入口)に見捨てられても、罪過による現場不在証明を成しえなければならないことも、みんなどうでもいいことなのです。