続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

古布再生。

2015-04-20 06:52:38 | 日常
 古布の再生・・・、日常着だった着物や冠婚葬祭などの着衣として大切に収納されていた絹織物。平成の今では着ている人を見ることは珍しくなってしまった。

 生家が農家だった知人は「戦中は食料と交換した着物が部屋に積まれていた」と話し、「だからわたしの嫁入りは金襴緞子だったわ」と笑った。
 わたしが子供の頃は母親の外出着は着物だったし、義母などはわたしが嫁いだ頃も着物でいることが多かった。けれど、和服は洋服に比べ不自由であり着衣のプロセスが複雑である。簡便な洋服は時短であり手に入れやすい。
 それやこれやで箪笥の奥深く眠ったままの着物は全国各地、数知れず。

 洋服地の幅は広い(90センチ幅からダブル幅まで)けれど、着物地は35センチ。ちょっと不都合である。
 しかし、
《活かすべき》と始めた洋服への仕立て直しは近年静かに流行っている。専門店もあれば、サークルでの指導などもあり、日本の財産とも言うべき古布は再生へと甦りつつある。

「捨ててしまっては勿体ないですもの」「ほんとうに」「でもハサミを入れるときはちょっと躊躇うわね」
「昔の物は、質がいいのよ」
「これからの若い人は、仕立て直しなんかやらないわね。」
「残しても処分されるだけなら、わたし達が使わせてもらうしかないわ」
「そうね、見える限りはがんばりましょう」


 と言っても、わたし自身はこの会話のサークルに所属しているわけではなく、一年一度の合同展で顔を合わせるだけのお付き合い。けれど縫い物が好きだから、つい仲間入りのおしゃべり。
 絵の方はね、ちょっと淋しい。
(それでも。見える限りはがんばりましょう)

 三日間にわたる作品展も終了。解放された今朝はちょっとだるい。でも《さぁ、やるぞ!》って虚勢を張り自分を鼓舞している。

『城』1943。

2015-04-20 06:24:34 | カフカ覚書
そして、どの手もだめになると、K夫妻という名前で彼に物乞いなさるでしょう。しかし、これがお内儀さんの結論なのですが、そうなってあなたがご自分の想像していらっしゃったことも、希望していらっしゃったことも、なにもかも思い違いであったといつかおわかりになるとき、そのときこそ、わたしの地獄がはじまるのです。


☆そして、救済は死ではなく、Kと反対の関係ということでで先祖との区切りを懇願したのです。しかし、そのとき言葉は結論を見ることになるでしょう。言葉の仮定したハロー(死の入口)についても、またクラム(氏族)のことやなど何もかもが分かれば、そのときこそ泣くような地獄が始まるでしょう。