続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

お花見。

2015-04-04 07:03:09 | 日常
 桜が咲き誇っている、どこもかしこも満開で花見客らしい家族連れや団体が列をなしている所もある。

 春は桜で幕を開ける、この華々しさは自由や解放をたっぷり含んでいるので花見客も酔いしれてしまい、浮世の憂さも瞬時忘却。桜が愛される所以かもしれない。

 
 今回の「歩こう会」も主旨はお花見。目的地へ向かうまでも沢山の桜の下を通った。そのたびに心が揺れ、精気をいただくような胸いっぱいの歓喜。
 お花見にはその年毎の思い出があって、それらの感傷が一気に弾け飛ぶ。年毎の深さがあるのかもしれない。

 誰かが言った。
「でもさ、昔は花見っていうと必ず酔っぱらいがいたよなぁ」
 それを聞いたわたし《ズキ~ン!》

 まだ幼かったころ、家族でお花見に出かけた。(たった一度だったけれど・・・)
 花見会場(衣笠山だったように思う)で、食事を広げたかは定かでない。しかし持参した酒瓶を父が空にしたところでお開きになり、坂道を下っていたら、その坂を上ってくる家族に遭遇。知人であるらしく挨拶を交わしていたけれど、父は知人の持っていた一升瓶を見ると、わたしたちに向かい、こともなげに言った。
「お前たちは帰りなさい」と。

 知人家族と笑いあいながら再び坂を上がっていく父を呆然と見送りながら(なんて迷惑な父なんだ、恥ずかしいよ)と、幼心に胸を痛めたのを覚えている。酔いつぶれるまで、自分を失くすまで呑む酒飲みの父を、美しい桜の下で思い出すなんて・・・。

 桜があんなに美しく咲くのはあの下に屍体が埋まっているからだ、とは某作家の言葉。
 確かに、あの桜の下には限りない人生の悲喜が隠れている。

『城』1926。

2015-04-04 06:49:18 | カフカ覚書
これだけが、あの晩わたしをあなたの恋人にする十分な理由のすべてだったんですって。でも、ふたりの仲は、あの晩の事だけではすまなかったが、そうなるためには、さらにより以上の動悸が必要だった。そのより以上の動悸はクラムだった、と言うのです。


☆これが向こうの死に対し、あなたを崇拝者だと思うのに十分な原因だったのです。それに関してさらに理由が必要だったのですが、その更なる理由がクラム(氏族)だったと言うのです。