続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

束の間。

2015-04-06 06:31:38 | 日常
 金縛りにあったように動けない、だるく鬱々とした気分。肩は石のように固まり、目は開けていることも叶わない。
 不穏な体調・・・《疲れは後日やってくる》これは老いた身の極めて平均的な日常。
(あの程度の歩きで疲れが出るのだろうか)としたら(どこへも行けない)などと悲観している。

 こんな疲れやすい虚弱な身体で、東京まで出かけられるだろうか。マグリット展・・・。
(行きましょう)と誘われても断ることが多いわたし、(行きませんか?)と誘えない。一人で行かれるかな(不安)。昨日Eテレの「新日曜美術館」を見ていたら、作品を観にニューヨークから駆けつけたというアーテストを映していたけど(ああ、なんていう差異だ、一流の人はこんなにもフットワークが軽いのだ)と驚愕。
 それに引きかえ、井の中の蛙状態で生き、死んでいくであろうわが身の小ささが情けない。

 一年中、雨風強い荒天の中を彷徨って、くたくた。ドン・キホーテの妄想世界に近いものがある。よぼよぼ歩いている鈍臭い初老のおばさんの滑稽。(このことを考えただけでも外へ出られない)
《勇気出して》一歩外に出るんだよ、と誰か背中を押して・・・あくまでも他力本願。


 あまりの肩凝りに、昨夜は頭痛薬を服用。
 以前、もう三十年も前、やっぱりこんな状態だったので、総合病院の内科で診てもらったことがある。問診表にいろいろ書き込んだけれど、医師は一目見るなり「ああ、これは体質ですね」と、ばっさり。

 確かに三十年後の今も同じ状態。改善もされず、悪化もしない。

 生活習慣なのか・・・こういう自分と付き合って行くしか方法はないのかもしれない。死ぬ間際になって「痛みは束の間だったよ」と軽く笑うだろうか。

『城』1929。

2015-04-06 06:21:26 | カフカ覚書
ただ、いまと異なる点は、以前のあなたは、まったく希望がなかったけれど、いまはほんとうに、近いうちに、しかも卑屈にならずにいばってクラムの面前にまかり出る確かな手段をわたしによって手にいれたとおもっていらっしゃることだけです。


☆ただ相違は、以前は絶望的でありつづけたけれど、今はほんとうに間もなく、しかも優越をもってクラム(氏族)の前で主張できる確実な方法を手に入れたとおもっていることです。