『巨人の時代』
女が男に今しも犯されそうな景に見える。
女の両の手は男を拒み力いっぱい押し退けようとしている。
男の両手は女の腰に抱きついている。
しかし、そうだろうか。
消された男の形を追ってみると女の両手は男の肩を掴んでいる。
男は相当に大きな体躯であるが、腰の位置が低い。つまり襲い掛かろうとしているにしては力が入りにくい姿勢である。
女の腕は満身の力を込めている。
成熟した豊満な女は着衣の男を引きずり込んでいる。
犯される弱い女ではなく、大力をもって男を引きずり込んでいる女。
それを『巨人の時代』と命名したマグリット、《こうであってもいいじゃないか》と。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
ジョバンニは橋の袂から飛ぶやうに下の広い河原へおりました。
☆教(神仏のおしえ)を併せて秘(人に見せないように隠している)
化(教え導くこと)の考えの講(はなし)が現れる。
こうして言いなりになっているのは、なにか筋の通った理由でもあるのですか。アマーリアは、いちばん年下だから、妹らしくあんたの言うことにしたがわなくてはいけないはずです。罪があったか、なかったかはべつにしても、一家に不幸をもたらしたのは、アマーリアにちがいありません。
☆この従属にはなにか合理的な確証でもあるのですか。彼女は最も新しいので、このようなことに従わなくてはいけないのです。罪のあるなしでなく一族に不幸をもたらしたのです。