『恋人たちの散歩道』
散歩道と題しているが、道は見えない。窓のアーチなどは地上からの視線だが、むしろ全体的には高い位置から見下している景であり、恋人たちは浮上している。換言すれば《空中散歩》の景ではないか。
空と思われる空間は漆黒の闇であるが、青空を配したフレームが二つ並んで絵の中央のやや下方に位置を占めている。空に浮くというよりは暗い景色の背後に密着した関係でもある。
地上の現実の否定だろうか、思い描く未来の景としての象徴が白雲浮かぶ青空なのかもしれない。
《何もない自然の青空》は未来を内包している、そして、恋人たちには《未来という時間》がある。
彼らは現実の重さを進撃するパワーを秘めている、それは《道なき道》でもある。
思いがけない道の散策、出逢いを愛に、そして切り拓くであろう未来の空を目指していく夢想が『恋人たちの散歩道』である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
みんなもじっと河を見てゐました。誰も一言も物を云ふ人もありませんでした。
☆講(はなし)に現れることを推しはかる。
逸(かくれた)源(物事の生ずる元)は、仏を運(めぐる)図りごとである。
父にはまったく理解することもできなかったことですもの。父は、ソルティーニのためとあれば、わが身をも、自分がもっているすべてのものをもよろこんで犠牲にしたことでしょう。
もちろん、実際に起ったようにではなく、つまり、どうやらソルティーニが憤慨しているらしいから、それをなだめるためというのではなしにね。
☆父はソルティーニのために自分の持っているものも喜んで犠牲にしたでしょう。たしかに、ソルティーニが怒っているようだから、真実を見つけるためにね。