〔宮崎二美枝先生の講座〕
『紙芝居』の講座を受講している。
「自分のニックネームをつけて下さい」との指令で、わたしは「ピーちゃん」になりました。
紙芝居は面白くて深い。平成30年春まで続くこの講座、どんなことがあっても風邪などひいていられません。絶対に頑張って実演なども敢行できるようにしたいと張り切っています。
《声がでるかな?》など心配は尽きませんが、いろんなジャンルに挑戦したいと思います。(ドキドキが止まりません)
二人で組んだお隣の方は「モンメちゃん」仲よく頑張れる予感がします。(よろしくね!)
『発見』
何を発見したというのだろう、『発見』と名付けている。
裸婦の肉体に木目がついてる、というより肉体が木目(木の質)に変容しつつある過程かもしれない。
背景の深い暗緑色はすでに現世でない(冥府)の律である。
マグリットは母の死体が『棺』に入っているのを知り、「母の死=棺」というように同化して記憶の中に収めているのではないか。母の肉体が木目を持った棺と同時に消えてしまうという驚愕の体験は、個人的な発想(発見)に過ぎないが、深く刻み込まれ消し難い幻想として作家の内に息づいてしまっている。内なる思いを外(作品化)に出すという客観的な仕事を介して、それを発見と呼んだのだと思う。
物質全部を電子に帰し
電子を真空異相といへば
いまとすこしもかはらない (宮沢賢治「春と修羅」より)
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
その河原の水際に沿ってたくさんのあかりがせはしくのぼったり下ったりしてゐました。
☆講(はなし)の源を推しはかる。
済(救い)の縁(つながるよう)に化(教え導いていく)。
だのに、あんたたちのひとりひとりに毎日新しく赦しを乞うどころか、みなより大きな顔をし、いささか恩着せがましく両親の面倒をみる以外は、どんなことにも関心をしめさず、あまーいあ自身の表現を借りると、なんいも知らないですまし、やっとのことであんたがたに口をきいてくれたr、たいていは本気なのだが、皮肉に聞こえるときている。
☆なのに、きみたちに日々新しく赦しを乞うどころか、みんなより意志をもって古い人たち(先祖)に寛大な措置を取る以外は苦しむこともない。彼女自身の表現によると、究極の先祖の汚点を話すことも、たいていは厳粛なのに皮肉に聞こえるのです。