〔水沢館長さんのギャラリートーク〕
県立近代美術館で開催されている『陽光礼讃』展でのギャラリートーク。
「日々の暮らしの中の芸術、自然の中での生活を基本とした作品群です。ちなみに陽光礼讃に対して、谷崎潤一郎には『陰翳礼讃』というとても興味深い作品があります。電気がない頃のお話で、薄明りを辿っていくと更なる闇の中に鉄漿をした女将さんが…というような、ボクはこのシーンが好きです」など余談を交えてのトーク。
「林の中に見る暮らしには、かつてのゴッホ・ゴーギャン・セザンヌへのオマージュがあり、ここに並べた一連の作品は一年ほどの短期間に描きあげた陽光礼讃ともいうべき彩色の詩情あふれたものです。この日常を谷川さんは《雑めく》と言い、又それを短い詩の形でユーモアめく表現しています。」
日常の中の光彩、作品群は素敵でした。宮迫千鶴さんのパッチワーク、素敵で感動いたしました。そして、そのような暮らしの中の旺盛な仕事を拝見できたことは至福でした。
水沢館長さん、叮嚀な解説ありがとうございました。
李美那先生をお見かけしました、李ウーハン先生の『線より』、静かにして圧巻です。
『本来の意味』
画面は黒い線で4分割されている。
(空を思わせるブルー)(果てしない深淵の時空)(レンガ模様)(Corps de femmeの文字/記号)
(未来)(過去)(現在)(生命)
(明)(暗)(英知)(存在)
・・・それぞれにイメージできるが、それ以上でもない。
4分割している線は黒色の×の形であり、普通それは《否定》の意味をも内包する記号である。
黒枠は死を暗示する。
意味とは指示であり解釈であり、真理への追及である。
青は空(無窮)を、深緑は深淵、レンガは自然回帰、女の身体は生命の源を、それぞれは、概念として想起可能である。
しかし、それを全否定しているのではないか、それが本来の意味であると。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖ったあごをsたカムパネルラのお父さんが黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめていたのです。
☆楽(心が和む)正しい懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)図りごとは、位(等級)の照(あまねく光が当たる=平等)であることを詮(明らかにする)と、普く告げる。
複(二つ)の記の律がある。
幽(死者の世界)の趣(考え)を、字により、(二つ)の景(ありさま)を現わしている。
しかも、それは、けっして父がアマーリアの行為を是認したからではありません。ソルティーニを尊敬していた父が、どうしてアマーリアの行為を是認することなんかできたでしょう。
☆彼がアマーリア(月の化身/マリア)の行為を正当としたからではありません。先祖の尊敬するソルティーニ(太陽)は公正だからです。