〔稲村先生の授業〕
今回は大矢部周辺の遺跡を巡るというFW。(2回の内の1回目)
衣笠城址で集合、大善寺へ向かって衣笠町へ。隣町である衣笠町を歩くのは、こうしたツアー以外にはないくらい足を踏み入れたことがないので興味津々。
横穴墓を利用した櫓(?)跡、住吉遺跡は私有地になっているため下から指差し眺めただけ。なるほど高楼、兵糧食の貯蔵庫がお米が残存していたことで証明された由。(ローム層/赤土)
「岩戸の満願寺には佐原氏の横穴墓がありますが、平安末ですから、佐原十郎の墓というのも(いかがなものか)」とは先生の弁。
「石で積み上げられた素朴な五輪塔、地・水の石は13世紀前半の物でしょうが上の方は室町時代あたりの既製品ですね」(矢取不動尊)
坂口やぐら、はたたてやぐら・・・次第に大善寺に近づくにしたがって急坂。
「南面は猫が通れるほどの細い通路で段々畑を作りましたが、北面は手付かずですから昔からこんな感じだったのでしょう」
「合戦の時などは川に渡した橋を逃げながら落としていったのでしょう」
「大善時には平安末期の仏像があり、市の指定になっています。(まあ、かなり劣化していて仏と思えば仏といったもんです)」
等々、ぼんやり話を伺いながら、急階段を上り、さらに山の奥へ入っていくのを見て(わたしはここで)とばかり休憩し、その後、先生の貴重なお話も聞かずに帰路を急いでしまった。(申し訳ありません)
衣笠城址・・・具体的に思い描くことは困難ですが、薄ボンヤリ、平安の昔を偲んだ授業でした。
稲村先生、瀬川先生、ありがとうございました。
『新聞を読む男』
画面は4分割され、同じ景が4つの画面に描かれている。
同じ空間が等しく提示されるという困惑、戸惑い。少なくとも間違い探しではないが、差異を探し出そうとする感覚は否定できない。
『新聞を読む男』は確かに存在している、4つの画面の中の一つに新聞を読む男が認められる。この4分の1の画面で事足りるはずの作品ではないか・・・。
なぜ4分の3(3つの画面)に不在の画面を並べたのだろう。
存在(新聞を読む男)は、不在によって証明されるものだろうか。存在と非存在の差・・・。
不在の部屋には寂寥感が漂う、とも清々しているとも言える。
存在の部屋には充足感が漂う、とも邪魔であるとも言える。
この絵の不思議は黒枠で囲まれ、且つ分割の線も太い黒枠であること。不穏、明るい光景に隠れた悲しみに見える。
存在しているけれど非存在の人、あるいは非存在になった人の追想かもしれない。
新聞を読む男は確かに存在しているが、4分の3ほど欠けている。微妙な心理の揺れがある。
新聞を読む男(父)への追慕、記憶の中の『新聞を読む男』である可能性を隠蔽した絵である。
※仮に父への追憶であるとしたなら、心象の景であり、父親の存在感の薄さ(4分の1)や新聞(ニュース/社会=仕事)ばかりに向けられた父の日常を暗示したものではないかと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)