上からくる重さを受け止めるには、下は水平でなくてはならない。
段ボールの性質を熟知していないことからくるミス、下部に水平もしくは前に傾くくらいに高さを補充したら、なるほどビクともしない仕上がりに・・・。ついでに作品が引き立つように茶色に塗装。
これで孫が来訪の折、紙芝居を見せてあげられる!
宮崎先生が喜んでくださったように横須賀市の図書館には紙芝居がたくさんあることが分かったので(息子の幼児期には気づかなかった)いろいろ試してみたいと思っている。
『ことばの用法』
深緑色とレンガの背景に不定形な白い領域に《canon・ corps de femme・arbre》の文字が任意の位置に書いてある。
レンガは微妙に右に傾いている(少し傾くということは、崩壊の可能性を孕んでいる)
白いエリアは人を想起できるが、点が3つあれば人の顔のレベルでの仮定にすぎない。
書かれた文字の意味は《木・女の身体・大砲》ということらしいが、それに結びつくものは皆無である。言葉はイメージを引き出すが、言葉のまま空白のままその中に留まってしまう。なぜなら関連すべき必須の条件がないからである。言葉=記号は約束であって、外部の人には伝わることはなく、したがってイメージにも結び付かない。
言葉が音あるいは記号として伝え合うものは感情・意志・考えであり、脳の作用によってそれをイメージ化する。
しかし脈絡のない言葉においては単に混乱を招くに過ぎず体系的な意味の用法にはならない。むしろ言葉の解体につながるのではないか。
『ことばの用法』と題したこの作品は用法のマイナス面を示唆しており、使用不可を暗示したものである。
背景の深緑は底知れぬ深淵の空虚であり、微妙に傾いたレンガ積みは崩壊を暗示する。
レンガは人知の賜物であるけれど、土(自然)に帰るものでもある。
要するに、描かれたものは全て無空(原初)に帰すものである。『ことばの用法』の奥行・深さと共に、無空に帰すという領域を《THE Use》に加えたのだと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「みんな探してるんだらう。」
「あゝすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附からないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」
ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。
☆嘆き祈る譜(物事を系統的に書き記したもの)が現れ、普く聯(並べてつなぐこと)が拠りどころの法(神仏の教え)の講(はなし)である。
アマーリアは、ある意味でわたしどもの不幸の原因でした。それは、確かです。でも、この不幸のためにいちばんひどい目に会った父、なにごとによらず口をつつしむことのできない父、家庭においてすらそうであった父でさえも、いちばん苦しかったときでもアマーリアには非難がましいことをひと言も言いませんでしたわ。
☆不幸は、父自身に重くのしかかりました。汚点についての預言者を制御する発言など決してありません、一族においてもありませんでした。父自身、あまーいあを非難する言葉などもなかったのです。