『自由の入口で』
自由とは他からの強制・束縛・支配を受けないで、思いのまま、心のままに行動することである。
この絵の空間は8枚のパネルで壁が被われており、入口の開口部が見当たらない。
左から、林(樹木)・裸体・板・鈴・炎・切り抜き・集合住宅の窓・青空と雲・・・である。
林は迷路、迷い(幻惑)。
裸体は、性への執着。
板は、死の暗喩。
鈴は、言葉・噂・命令・伝言etc。
切り抜きは、刻まれた精神。
閉じた窓は、閉塞・沈黙。
青空と雲は、変化(不可逆の時間)。
それらは生きる糧であり、また生きることを阻む憂鬱である。この混迷・混沌の中に生きている。
本当の自由があるならば、それは現今の状況を、大砲をもって爆撃するしかないのではないか。
「自由の入口で」わたくしは生きているが、自由の扉が開かれているわけではない。
解放を願う暴挙を心に抱き、常に自由の入口の前で大志(大砲)をもって構えている。
マグリットの願う自由とは、絶対に行き来不可の(母のいる)冥府への道ではないかと推測する。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「ぜんたい、こゝらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構はないkら、早くタンタアーンと、やぅて見たいもんだなあ。」
☆算(見当をつけ)皆(すべて)を諜(さぐる)。
重ねて逸(隠し)畢(おえる)挙(すべて)の講(はなし)は、双(二つ)現れる。
村でも声望のある一家が突然村八分にされてしまうと、だれでも損害をこうむるものです。村の人たちは、わたしどもと手を切ったとき、ただ自分の義務をはたしているにすぎないとおもったのです。わたしたちだって、もしその立場に置かれたら、おなじように考えたことでしょう。
☆来世の先祖を見ると、一族は排除され、不利益をこうむっています。わたしたちとの関係を絶ったのは単に義務だったのです。もしその場に置かれたら違うようにはならなかったでしょう。