続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『耕耘部の時計』⑯

2018-09-04 07:19:23 | 宮沢賢治

 するとどう云ふわけかみんなもどっと笑ぅたのです。一斉にその青じろい美しい時計の盤面を見あげながら


☆薀(奥義)は、照(あまねく光が当たる=平等)
 逸(隠れた)済(救い)は、照(あまねく光が当たる=平等)である。
 備(あらかじめ用意してある)字の啓(教え導くこと)は、判(可否を定め)綿(細く長く続いて)現れる。


🈞マグリット『終わりなき認識』④

2018-09-04 06:53:58 | 美術ノート
 究極《無》であり、手掛かりがない。
 わたくしというもう一つの疑似世界における存在を凝視・観察する術が全てである。

 …つまり主観と客観の対峙である。しかし、その存在全体の把握は不可能である。なぜなら陰に潜む部分に於いては何らかの手掛かりによって想像するしかないし、凝視の感覚は実体までを分析出来ないからである。

 本質に迫る発見に至るまでの作用を考えると、相似や類似の範疇までが限界である。
《絶対》を求める道程が認識であり、それは世界全体、だれもが共通の意見として納得できる条件の提示が為されなければならない。

 内と外(主観と客観)、距離をおいて対峙し共通の認識に至るとしても、それはあくまで《個》の世界の見解である。
  個が世界の認識に於ける基準になることはないから、どんなに認識を深めても終わり(決定)は不可能である。

 答(究極の認識)の周りを探訪する旅人に、終着点はない。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)

『小岩井農場』94

2018-09-04 06:42:46 | 宮沢賢治

  遠くのそらではそのぼどしぎどもが
  大きく口をあいてビール瓶のやうに鳴り
  灰いろの咽喉の粘膜に風をあて
  めざましく雨を飛んでゐる


☆掩(隠れた)題(テーマ)がある。
 行いを憫(憐れむ)冥(死者の世界)の戎(いましめ)に因る講(話)である。
 念(考え)の幕(初めと終わり)は普く天(アメ/天上の世界)の秘である。


『城』3021。

2018-09-04 06:37:49 | カフカ覚書

だけど、ひょっとしたら、彼を誤解しているかもしれない。もちろん、これはありうることだ。ぼくが彼について述べたことは、だれの眼にもはっきり見えることじゃない。


☆ひょっとしたら、彼を誤解しているかもしれない。明らかに不可能な話だが、完全に開放的な外面があるわけではない。