赤シャツの農夫は馬に近よって頸を平手で叩かうとしました。
赤はシャクと読んで、釈。
農夫はノウ・フと読んで、納、訃。
馬はバと読んで、場。
近よってはキンと読んで、襟。
頸はケイと読んで、継。
平手はビョウ・シュと読んで、描、趣。
叩かうとはコウと読んで、講。
☆釈(意味を解き明かし)納(おさめる)。
訃(死の報せ)の場(空間)は、襟(心の中)にある。
継(つないで)描く趣(考え)の講(話)である。
『アルンハイムの地所』
翼を広げた鷲の形をした山、星空に南中の二十六日の月、手前には三つの卵…。
三日月と鷲の頭部と三つの卵は直線状にある。
南中の二十六日の月が見える時刻は真昼であり、星空の夜間ではない。
翼を広げた鷲は、あくまで山であり鷲に見えるだけである。
巣に入った三つの卵、鳥が人工的な煉瓦の上に巣をつくり卵を生むことなど皆無である。
この三つの虚偽をつなげた空論に答えはあるのだろうか。
《まず否定ありき》の中から見出す真実・・・非現実をあたかも現実のように描くことの作為。
決して存在することのない景色…しいて言えば神の領域であり、永遠に見ることの叶わない光景は願望ですらある。
南中の二十六日の月は《時間の否定》
翼を広げた鷲の形は《質の変換/質の否定》
三つの卵は《場所・状況の否定》
要するに、現実空間を全面拒否した架空の創造世界の現出であり、宣言、宣誓である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
さうです 農場のこのへんは
まつたく不思議におもはれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punkt と
呼びたいやうな気がします
☆納(受け入れる)状(ありさま)は、普く死を擬(なぞらえた)記である。
※der heilige Punkt は神聖な場所
しかし、きみは、ほかのことはいっさい無視するとしても、とにかくクラムから引きはなされてしまった。それがどういうことを意味するのか、ぼくは測りかねているのだが、なにやらおぼろげな見当ぐらいは、だんだんわかってきた。
☆しかし、すべての見たことを変え、氏族を引き離すことを、不思議に思った。それが意味することを、わたしは判断できないが、先祖の疑念はしだいに分かってきた。