今朝来たばかりの赤シャツの農夫は、シャベルで落ちて来る穀粒をしゃくぅて向ふに投げ出してゐました。
☆襟(心の中)を調べる記(あるいは雷/神なり)の釈(意味を明らかにする)。
納めるのは、二つの絡(すじみち)の記である、と告げる。
留める講(話)は等(平等)を推しはかる。
わたし達は、自由の入口にいる。しかし、入口であって自由の領域ではない。
その領域へと突破可能になるための媒体は何だろう。
物理的な機材(大砲)は強力であり一見効果的に見えるが、天空を撃つには過少にすぎる。いかにもと言った配置に納得しかねないが、失笑を免れない。
それを権力に置き換えても部分的な暴走があるのみである。
この張り巡らされた人間の中に潜む観念、経験値の集合・・・。
青空に見る雲の散在、水地球の部屋。
並べて教育された律法社会。
樹を板に変える人智。
伝承、言い伝え、噂、主張、命令・・・。
燃え上がる喜怒哀楽の情念。
生物誕生からの繰り返され伝えられるDNA。
生命誕生の男女の性愛、肉欲。
自然との共生。
故知らぬ虚空の幻想。
わたしの中の世界、世界の中のわたしに課せられた生きる者としての条件は、かように張り巡らされているので、真の自由や解放はあり得ない。
否、わたし達は《自由》を得ている。自由の入口は閉じられているのではなく、すでに自由の中に存在しており、あらゆる条件を謳歌している。
扉は開いている!それを開けようとすること自体が、世界を閉じたものにしているのかもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
(降つてげだごとなさ)
(なあにすぐ霽れらんとす)
火をたいてゐる
赤い焔もちらちらみえる
農夫も戻るしわたくしもついて行こう
☆講(話)は済(救い)の化(教え導くこと)の釈(意味を明らかにする)。
掩(隠れた)脳(中心)は普く霊(死者の魂)の講(話)である。
「だけど、僕には、中傷する必要なんかないんだよ。だって、きみは彼を愛していないからね。愛していると思いこんでいるだけで、ぼくがその幻想からきみを開放してやったら、きみはぼくに感謝するにちがいない。
☆しkしながら、わたしには中傷せねばなrないなどということはない。とKは言った。彼を愛していないから、そう信じているだけで、その欺瞞から解放されたら、きみはわたしに感謝するだろう。