それhも黄いろの小山を作ってゐたのです。二人の農夫は次から次とせはしく落ちて来る芯を集めて、小屋のうしろの汽缶室に運びました。
☆講(話)の章(文章)を、算(見当をつけて)査(調べる)。
字の図りごとを納めている。普く字を試す絡(筋道)の記である。
審(正しいかどうかを明らかにし)修(ととのえて)章(文章)を臆(推し量る)。
記に換(入れ替わる)質(内容)は、薀(奥義)である。
人の存在には、どうしても離れず執着しているものがある。
緑(樹林)茂る自然の大地、その上を被う空、億年を巡回する水の三態、危険を回避するための住居(木材などの資材)・・・必要な条件である。
生物の誕生を促す機関としての雄雌の結合、愛憎、伝えられる歴史、集団性、狂おしいまでの熱狂、情熱、向上心・・・生きとし生きる者の連鎖。
あらゆる条件が、人の存在を支えている。
あらゆる条件が、人の存在を束縛・支配している、強制と換言してもいいかもしれない。
わたし達はそれらの条件を外して生きることを望まず、また不可能である。
それら条件を打破、崩壊させるために設置された大砲(象徴)を心に抱いているが、到底目的を達し得ないことも知っている。
その向こうにあるものは《無》あるいは《死》に他ならず、無が真の自由を開放するというのは単に夢想に過ぎない。
わたし達は、自由の入口で右往左往している。あるいは自由の入口であることすら確認できず、入口の鍵は永遠に発見できないのではないか。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
これらのからまつの小さな芽をあつめ
わたくしの童話をかざりたい
ひとりのむすめがきれいにわらつて起きあがる
みんなはあかるい雨の中ですうすうねむる
(うな いいをなごだもな)
にはかにそんなに大声にどなり
まつ赤になつて石臼のやうに笑ふのは
☆章(文章)は雅(正しく)同(平等)で和(争いを治める)記である。
天(天上の世界)を注(書き記す)題(テーマ)の釈(意味を明らかにする)。
晰(明らかにする)教(神仏の教え)は、照(あまねく光が当たる=平等)である。
ねえ、いいかい。だれかが力ずくではなく、できるかぎり慎重な計画をめぐらしてきみをぼくから奪いとろうとおもったら、きっとあのふたりの助手を使ってそうするにちがいにだろう。
☆誰かが権力でなく、細心の注意をめぐらせて、きみをわたしから取り除こうと思ったら、両方の脳(全知力)を使ってそうするに違いない。