脱穀小屋の庇の下に、貯蔵庫から玉蜀黍のそりを牽いて来た二疋の馬が、首を垂れて黙って立って居ました。
☆脱(ある状態から抜け出す)と告げる。
照(あまねく光が当たる=平等)也。
秘(人に知られないように隠し)化(教え導くこと)を著(あらわす)ように造る。
個(一人一人)霊(死者の魂)に属(たくして)書いている。
兼ねた記は、普く匹(一対を為す)場(空間)の趣(考え)を推しはかる律に拠る。
建屋にある窓、窓というのは内と外をつなぐ媒体であり、隠蔽することも開示することも成立させる機能を持つ。
閉じたものの中は不明であるが、開いて見える景は、経験上の予測を裏切らない想定内の空間でなければならない。
しかしここで見る景は、窓の中の空間に複数の窓を所有する一個の建屋が存在している。
明らかに矛盾であり暴力的である。否定されるべき条件の内包は、現実的に受け入れがたい。非現実、妄想、空論のそしりは免れない。
ただ、この景を精神的な解釈で解けば、個の中の世界(窓の中の一軒家)は容易に得心がいく。
物質界で矛盾することも精神界では可能であることの証明だろうか。客観的に見れぼ奇怪なことも、私的解釈による自由では肯定される。
あえて観念を覆すことで、物理的正論を確認する。
否定によって肯定の正当性を促す。真理の門(あるいは核)を叩き、世界の本質に迫る術は、時空を逆に覗き見ることかもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ
どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは
ひとはみんなきつと斯ういふことにある
きみたちとけふあふことができたので
わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから
血みどろになつて遁げなくてもいいのです
(ひばりが居るやうな居ないやな
腐植質から麦が生え
雨はしきりに降つている
☆詞(言葉)の拠りどころを慮(思いめぐらす)。
溢(あふれる)訣(人との別れ)を結び、頓(ととのえること)を拠りどころに挙(事を起す/企てる)。
普く続く死地の漠(虚ろ)、章(文章)は天(天上の世界)の講(話)である。
ぼくは、自分のことは語らない。ぼくのことなど、さほど重要ではない。だって、結局のところ、きみがきみの眼をはじめてぼくのほうにむけたとき以来、ぼくはずっときみの世話になりっぱなしんんだから。世話になることに慣れるのは、そうむずかしいことではないものだよ。
☆わたしは、そんなに重要ではないことは話さない。傷痕に関して、初めてきみを怒らせて以来、関わりになっても、そんなに苦しいことはない。