黒いなめし皮は光を通さず、したがって向こうは見えない。本来、窓というものは内から外、外から内に開かれるための通気口である。それがなぜ遮断されているのか、開けてはならない《禁止》の窓。しかし、なめし皮の一部には薄く亀裂の線が見える。時間だろうか・・・少し何かが動く、ひび割れ、崩壊、そして解放へと向かう予兆(しかしあまりにも僅かで動かし難い)。
四角四面、融通が利かないことの例えである。正方形のなめし皮は動かし難い観念的な社会の比喩ではないか。歪むことを許可しない・・・。
『フレッシュ・ウィドウ』は現実の死を連想させない。むしろ、高らかに歌うデビューの凱歌のようであり、木枠のブルーは《空》であり、解放をイメージさせる。
この窓を叩けよ!さすれば『フレッシュ・ウィドウ』の登場である。
しかし、閉じている、男を滅した新しい女が生まれているにもかかわらず。
ただ、この窓はそんなに簡単に開く窓ではなく、社会の正義から固く閉ざされている自由である。覆っている黒いなめし皮も、いつか劣化し、新しい自由な未来を見せるに違いない。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより