人は一人で人であり、二人で一人などというのは比喩にすぎない。しかし、このラベルには悲痛とも思える囁きがある。
私という存在のためにあなたがいるというのである。分解というのも違っているかもしれない、不条理な例外・・・例外ですらなく本来あるべき少数派の主張である。
私とあなたの間に距離がない、私はあなたであり、あなたは私であるからである。この表明を明かす術がない。
媒体として選択されたラベルというツール、小さな紙切れの中の隠された大きな秘密。
私はわたしとして存在しているが、私の存在のためには(あなた)が不可欠である。
「ローズ・セラヴィのためのデュシャン?」である。この関係の明記は戸籍でもなく、ただの一枚のラベルに記された。複製は可能であり、流布を畏れるものでもない。性の闇は昼間は見えないが、解放は自己申告である。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより