続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『私のためのあなた?』②

2020-05-14 07:29:09 | 美術ノート

 人は一人で人であり、二人で一人などというのは比喩にすぎない。しかし、このラベルには悲痛とも思える囁きがある。
 私という存在のためにあなたがいるというのである。分解というのも違っているかもしれない、不条理な例外・・・例外ですらなく本来あるべき少数派の主張である。

 私とあなたの間に距離がない、私はあなたであり、あなたは私であるからである。この表明を明かす術がない。
 媒体として選択されたラベルというツール、小さな紙切れの中の隠された大きな秘密。
 私はわたしとして存在しているが、私の存在のためには(あなた)が不可欠である。
「ローズ・セラヴィのためのデュシャン?」である。この関係の明記は戸籍でもなく、ただの一枚のラベルに記された。複製は可能であり、流布を畏れるものでもない。性の闇は昼間は見えないが、解放は自己申告である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより

 


『忘れえぬ人々』146.

2020-05-14 07:05:35 | 国木田独歩

未だ幾らもある。北海道歌志内の鉱夫、大連湾頭の青年漁夫、番匠川の瘤のある舟子など僕が一々この原稿にあるだけを詳わしく話すなら夜が明けて了まうよ。とにかく、僕がなぜこれ等の人々を忘るることが出来ないかという、それは憶い起すからである。


☆目(ねらい)は皆(すべて)祷(いのり)である。
 化(教え導く)詞(言葉)が代える講(話)は普く諦(真理)である。
 聯(並べてつなげ)One(一つ)にし、問う。
 章(文章)の念(考え)は霊(死者の魂)を普く目(観点)としている。
 套(おおうこと)を腎(かなめ)として認(見分ける)詞(言葉)を推しはかる。
 磊(小さなことにこだわらず)憶(思いを巡らせる)記である。


『城』3416。

2020-05-14 06:52:13 | カフカ覚書

あなたがほんとうにフリーダを愛しているなんて、ありうることだろうか、あなたは、ご自分をあざむいていらっしゃるー(略)-これはだれも否定できないことですわ。それに、あなたの眼をたちまち眩惑してしまったものは、なによりもフリーダの地位と、あの人がたくみにそれに賦与した輝きだったのですからね。


☆本当にフリーダを愛するなんてことがあるでしょうか。騙しているのかもしれない。あるいはフリーダだけを騙しているのかもしれない。多分、すべてのことから起こる結果はただペーピを見たということだけかも知れない。全くのペーピの妄想ではなく、フリーダの作り話に対し、より非常に幸福な作り話であることを否定できる人はいません。フリーダの地位は光に満ち、いかなる時もフリーダはKを理解し、ぎらぎら輝いていました。