デュシャンは常に《時間の経過における現象》を念頭に入れている。時間と空間の行き着く先、未来というにはあまりに悲観的な崩壊感覚である。しかし、それはあくまで未来への危惧を含むものにすぎず、現今の奇妙に居心地の悪い冷静さで対象物(モチーフ)の主軸をそっと抜いている。
つまり欠損である。永遠の非生産性は消費を可能にせず、未来への連鎖を否定している。見えない死が内在する。
作品に救済を求める傾向は見当たらない。今在る現況の警告とも受け取れる作品は、しかし沈黙を貫いて核心を隠蔽している。人を恐怖に陥れるものに「地獄絵」などがあるが、具体性さえ超越し、秘密を漏らす針の孔さえ隠している。
喜怒哀楽の感情、真善美などという気どりは、ここには無い。
(大ガラス)のヒビに気づいて危険を感じるかもしれない。物理的な危険の察知、しかし、この作品の内実は次元の異なる恐怖を秘めている。
《今は何でもない=平和である》、鑑賞者の安息。そして、むしろこの作品の奇妙な盛り合わせは嘲笑に値するかもしれない。しかし、嘲笑されているのは鑑賞者かも知れないという命題である。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより