彼女・独身者・裸・花嫁・・・これら単語は固有名詞ではなく、決定的な焦点はない。抽象的なイメージは空想を増幅させるが、明確な答えには届かず霧消してしまう。デュシャンは思考の果てにこの無限の無為を言語と事物の破壊的な羅列によって造り得たのである。
美しくなく、善でもない。しかし永遠の真実である《無》に近づくことを念頭に入れ、これらを配置している。
偶然、これは最も大きな位置を占めているかもしれない。しかし、生きることは必然を模索することでもある。誕生から死への時間、制作は崩壊を予感させるトリックを組み入れている。一見確実に見えるものの小さな(しかし、決定的な)綻び・・・重心の偏り、あるいは接続の不備、回転のエネルギーの欠如、本体を隠すはずの鋳型の意味ありげな表明は笑止である・・・ヒビ(亀裂)の入った大ガラスは崩壊を予感させる。崩壊(死・消滅)への時間が鑑賞者の胸に刻まれ、現況の平安と未来の滅亡の狭間に震撼とする。
作品の前に立つ鑑賞者は危うく身をのけぞらせて沈黙するしかないのではないか。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより
「要するに僕は絶えず人生の問題に苦しんでいながら又た自己将来の大望に圧せられて自分で苦しんでいる不幸な男である。
☆庸(一定不変)の目(ねらい/観点)は舌(言葉)である。
忍ばせる章(文章)に悶(思いなやむ)。
内(秘密)の句(言葉)は、幽(死者の世界)の事である。
故に章(文章)に頼る謀(図りごと)は、往(人が死ぬ/そののち)である。
弐(二つ)の文は句(言葉)で普く考える談(話)である。
そして、すべてをあきらめて、あなたのもとに走り、フリーダといっしょではけっして味わえない、世間の地位とか名誉にまったくわずわされないほんとうの愛をあなたに教えてあげようと、こころの用意をととのえていたのです。
☆総てを断念し、あなたのもとに戻り、フリーダといっしょにほんとうの愛を選び、すべての世間的な形成から独立する準備を整えていたのです。