対象物はすべて立体(三次元)を想起させるが、大ガラスの平面に直線的に納められている。そして、それぞれは時間の経過を孕んでいるが、面(二次元)に収縮させることで、閃光めく一瞬に凝縮される。それは、現象の一刹那としての提示にほかならない。
しかも、これらは崩壊へと辿らざるを得ない構築(仕掛け)である。実に緻密で大胆な展開を見せる作品に驚嘆を隠せないが、大いなる否定(絶望)への反感を試みざるを得ないという背反が厳然としてある。
作品は(大ガラス)ゆえに、作品を通して向こう(現実)が透けて見える。
平穏なこの空気の中の虚無の鋭利は、鑑賞者を黙って見ている。鑑賞者は黙って見られている事実に気づくが、対処の術は永遠の問いでもある。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより
色々の古い事や友の上を考えだす。その時悠然として僕の心に浮かんで来るのは即ちこれ等の人々である。
☆嘱(委ねた)私記は個(一つ一つ)の字で幽(死者の世界)の状(ありさま)を構(組み立てている)。
字で幽(死者の世界)と漸(しだいに)の睦(仲よくする)。
普く磊(小さなことにはこだわらない)。
審(正しいかどうかを明らかにする)は、即ち問うことであり、認(見分けること)が腎(重要)である。
わたしは、その犠牲になったのです。そしてなにもかもばかげたことで、すべてが失われてしまいました。この縉紳館に火をつけて焼きはらう、それも、跡形も残らないほど根こそぎに焼きはらってしまえる力をもった人がいたら、きょうからは、その人がわたしの選ばれた人です。
☆わたし(ペーピ)は犠牲です。全くバカなことでまったく絶望的です。この大群のいるハロー(光輪)に火をつけてすべて焼いてしまう。あとに残る小舟も焼き払います。先祖の文書からの解放はわたしの選択です。