鑑賞者が作品(画面)を見るとき、人がいれば先ず人を見るのは、自然のことである。景色(空間)より人物の動きを察知するのは潜在意識のなせる止む無き行動に他ならない。
にも関わらず、この画の場合、なぜか左半分手前の空間に引っ張られてしまう。それは店のフレームのような腰板部分と天井の枠が、黒く太い二本の線状になっており、あたかも遠近法により焦点を誘う構図になっているからである。
つまり、この画は初めから視線を左右に分散させ、人物たちと空虚を並置している。ゆえにポツンと一人で腰をかけている男の背中と店の光を受けているポールに視線が留まるという具合である。脳裏には左右の景色が残像としてあるが、なぜか意味をもたない暗闇へと誘引される。
もちろん無意識な流れを正当化する術はないが、鑑賞者の視線の流動は打ち消し難い。男の背や照明の当たったポールがなければ、カップルとバーテンの三者に比重がかかり左半分の空間は意味のないただの空間として浮いてしまう。
光と影の交錯を調合するのが彩色である。黒と赤、赤と緑、緑と黄、この対比(補色)のバランスの巧妙さがそれぞれの配色を活かしている。
黄と緑(光)をつなぐ黒と赤(影)は直線と緩いカーブの線によってくっきりとした境界を判別し堅固な動かし難い空間を模り、人物に反映させ存在の翳りを浮上させている。
劇中の無言劇はとてつもなく多くを語り、鑑賞者に沈黙を強いている。
写真は日経新聞「経済で見る名画・十選」田中靖浩より