現今、目の前に見えず現れていない物を予期させる(見せる)という作品である。
黒雲を見れば、雨を予想する。しかし、青空がいずれ雨になるとは予想の範疇にはない(衛星による予想はあるが…)。
ボトルラックを見て、すぐに細菌(目に見えない微生物)を想起する人はいない。
しかし、千変万化の天気予報とは質が違い、対象物には人が欲するだけの用途がある。だいたい同じ大きさのボトルを50本も差す頑丈なラックとあれば、用途は再利用の可能性が高い。ボトルは空になっただけでは再利用不可であり、細菌の発生は免れない。
その細菌(黴菌)の発生はむしろ必然的な傾向である。必ずや生じるであろう現象に着眼し、これを作品として提示したのである。
ここには時間経過という時空が秘密裏に存在している。鑑賞者が察知し未来の時間を推理する。
つまり、《見えないものを見る》のであり、《無い物に有る物》を被せるのである。
「存在とは何か」、ありありと見えているものを指して「存在している」と確信するが、見えていないものを予期することは「存在」と言えるか否。
ボトルラックの形態に有意義を見出し、納得し、購入する。このシステムを軽んじるわけではない。人はそうして学習し続けている。
見えることの確信と見えないものへの疑惑。ボトルラックは鑑賞者の前でボトルラックであり続けるだけであり、決してそれ以上を語ることはない。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschenより)
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