この作品の凄さを思うと言葉が出ない。
言葉と物、存在と非存在、それら隙間を覗く試作であり、探求の鍵が潜んでいる。
秘められたる鍵は想念の深い淵に沈んでおり、見えず聞こえず触れることもかなわない。
《無》は存在するだろうか。
音は明らかに存在である。音波として捉えられその高低も定かである。しかし、音は音として存在するのではなく他から働きかけられることにより発生する空気振動である。他、何かが動くことで発生する現象であり、何かが停止すれば即、《無》に帰してしまう。つまり永続はなく、つねに主体ではなく従属である。
音は跡形もなく消えるが、想像のなかを生きている。人は知覚し記憶している。ゆえにこの作品『秘められたる音』というタイトルを見れば、音の生じていない作品に《音》を感じ想像しうるのである。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます