ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云へずに博士の腕をはなれて早くお母さんに牛乳を以ってってお父さんの帰ることを知らせようと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました。
☆教(神仏のおしえ)を運(めぐらせている)。
吐く詞(言葉)は全て双(二つ)の簿(ノート)に語(言葉)を新しく字で考えたものである。
普(あまねく)鬼(死者)の地(境遇)の姿が逸(かくれている)。
黙って燦(きらめく)光に、献(捧げ奉る)我意を、奉(ささげ)奏(なしとげている)。
村の人たちは、わたしたちがみんなのところへ出かけていき、父が仕事場を再開しアマーリアがーあの子は、美しい着物を仕立てるのが上手だったのです、もちろん、よいご家庭のものしか手がけませんでしたがー
☆来世の人たちは、ただ単に留まり、父(先祖)は再び活動を始めました。アマーリアは、すでに告訴し、小舟を接近させていました。
『哲学者のランプ』
白蛇を思わせるくねくねしたロウソクの灯りに照らされた哲学者(マグリット)の鼻が、自らが吸うパイプの口にまで延び侵入しているという図である。
眼差しは灯りを背けてこちらを見ている。
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。(略)すると、二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。(創世記・第三章より)
善悪を知り、目が開けるという知恵の実である。
その灯りに照らされながら、男は陰を見つめている。「これはパイプではない」と提示したパイプをくわえ、拡大化した鼻をその中に連結させている。
イメージの否定・現実ではないものへの懐疑は、意味を仲介するというプロセスを断ち切る。
「パイプではない」ということは、観念の全否定であり、新しい認識への導入口である。
このろうそく(人工の光/人智)は思考の原初かもしれないが、あえて目を逸らした先に自分の確信がある。
哲学者にとって、ランプ(蛇の灯り/善悪・知恵)は、世界の真偽を問う道場の入口であり、否定こそが大いなる肯定を導き出す鍵ではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
さう云ひながら博士はまた川下の銀河のいっぱいうつった方へじっと眼を送りました。
☆奥(奥義)に迫る詞(ことば)には、千(たくさん)の化(教え導く)を吟ずる構(しかけ)がある。
法(神仏の教え)の願いが総てである。
「わたしたちは、これからふりかかってくるかもしれないことを怖れていたのではりません。すでに現に起っていることに苦しんでいたまでです。そういう意味じゃ、すでに罰を受けていたのです。
☆わたしたちはこれから来ることを怖れていたのではありません。すでに現にあるものに悩んでいるのです。すでにその中で罰を受けていたのです。
〔新宮晋先生の授業〕
それぞれが持ち寄った絵本の出来上がりをそれぞれ拝見、みんな力作の評価を受け大満足の雰囲気の中、先生のお話を伺うことが出来て至福の時間を満喫。
わたしの拙作は、「〇という絵本なら、いっそ、丸い形状の本にしてもいいですね」とのアドバイス。
先生は常に、今在る形を違う側面から見て捉えなおす、違う視点で捉えれば新しい発見につながるということを考え、交錯・収縮の自在な視点を模索していらっしゃる。
先生の作品には、見ることの高揚が、改めて自然の律を感じさせてくれるという風景を作りだし、この不思議な物は何だろうと見ている内に自然のリズムを体感している自身に気づくというシステムがある。
感慨深く楽しい授業を、新宮先生ありがとうございました。沓沢先生ありがとうございました。
『ジョルジェット』
静かな海、水平線の見える室内の壁にジョルジェットのやや斜めからとらえた正面の顔と横顔が重ねて描かれている。
画面の上には卵、枝葉、端にはわずかに鳥の白い羽が見える。下方には左から鍵・手紙・(彼女を照らす)ロウソク・手袋がそれぞれ何かの暗号のように描かれ置かれている。
バランス良く配置されたそれぞれの符号はマグリットの彼女への暗喩/言葉である。
卵は未知、枝葉は平和と安らぎ、羽根は軽やかさ、鍵は秘密、手紙は愛の告白、ロウソクはマグリット自身ではないだろうか、謙遜であり、凝視の願望である。
手袋は差しのべる手、永久につながっていたいという密やかな願い・・・。
凛とした美しいジョルジェットの貌、つまりはジョルジェットへの愛の告白であり、永遠を願う切なる思いを感じる。
ただ、しかし…画面左端下の開口枠は少し傾いている。時間の経過だろうか、いつか来る日の予兆を孕んでいるのだろうか。傾斜=不安は心の片隅にぬぐえぬまま留まっている。誰もが不可逆の時間を生きるのであれば誰もが抱く不安である。
《愛を永久に》と願う寡黙なマグリットのジョルジェットへの愛の証言である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」
☆金(尊いこと)を化(形、性質を変えて別のものになる)で惹きつける。
詮(あきらかにする)千(たくさん)の法(神仏の教え)は化(教え導く)語(言葉)であり、幽(死者の世界)の記である。
「では、なにひとつ起らず、なんらはっきりした罰も受けずにすむだろうという見込みがあったわけですから、あんたがたは、なにを怖れていたのですか。まったく、あきれた人たちですね、あんたがたは!」
「どう説明したらいいのかしら」と、オルガは言った。
☆「なにひとつ起こりませんでした。事件の小舟の明確な罰を待つだけでした。あなたたちは何を怖れたのですか。」
「どう云う風に説明すべきなのでしょう」と、オルガは言った。
横須賀美術館で、新宮晋先生の『絵本をつくる講座』の参加している。
本日は、昼過ぎからその成果を公表する時間が設けられているので、出かける予定。(今日の海はきっと素敵だと思う。
スケッチブックを利用し、そのまま絵本に仕立ててみた。孫が家に来た時のいたずら書きを切り抜いたわたしとのコラボ。
〇と✖をテーマに考えながら作ったのだけれど、〇は太陽・月・地球と原初から存在しているけれど、✖に関しては探せど見当たらない。
気づいたことは、✖は人間が頭の中で作りだした記号であり、罰・制止・間違い等々、否定の意味である。
しかし、✖があって〇に辿りつく、✖を重ねて真実を探求する。そして、✖(否定)をいう勇気も必要だと叫ばれている。
✖があって初めて〇という応えを得られるのであり、〇と✖は共存関係である。
もっとも、絵本だからこんな面倒なことは言わず、それぞれの景で楽しくページを綴ってみた。
ほかのメンバーはどんな風に仕上げて来たのか、とても楽しみ!
そんなわけで、この絵本は我が家の記録になります。