ペーパー・写・楽

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京都木屋町石碑めぐり

2009-06-25 21:02:34 | 京(今日)のとことこ街歩き
 この前、木屋町二条から御池までの石碑を探して歩いたが、今日は
御池から四条までとぼとぼうろうろ歩いてみた。


木屋町御池から南に下がって、すぐ目に付いたのがこの石碑。
武市瑞山先生寓居之址とちりめん洋服発祥の地の石碑
土佐勤王党武市半平太(瑞山)の在京時の在宅跡。

ちりめん洋服の石碑は田中佐起三氏が、昭和47年に縮緬布を素材にした
レディメイドのブラウスやドレスを、他に先駆けてこの木屋町通りから
発祥したのを記念して建立された。


吉村寅太郎寓居跡
土佐藩出身の尊王攘夷派の志士 天誅組の吉村寅太郎が、1863年(皇紀2523)
文久3年に仮住まいをしていた場所




三条木屋町を少し下がったところに、瑞泉寺というお寺があった。
角倉了以が、豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため建立した寺院

文禄4年(1595)に秀吉は秀次に対して謀反の罪を問い、関白職を
剥奪すると共に高野山へ追放し更には切腹を命じた。同年8月2日には
京都鴨川三条河原で秀次の子5名(男子4名、女子1名)と妻妾などの
女性34名が処刑された。


瑞泉寺内にある引導地蔵。
地蔵堂内には、五輪塔に祀られる子・妻妾など・家臣など合計49名
の方々の人形が奉納されている。
お堂に近づくと、中の明かりが点り、人形を見ることができる。
ただ、お寺の案内板で悲劇を知ると、じっと見るのがつらくなる。


瑞泉寺には休憩所があり、くつろぐことができる。
中には、瑞泉寺の住職が書かれた「瑞泉寺の縁起について」と
木屋町絵図が無料で配布されていた。
休みながら「瑞泉寺の縁起について」をじっくり読むことをお勧め
する。


木屋町絵図。
これに石碑の位置とか説明文があったので大助かり。
これを見ながら、続けて散策。
ただ、瑞泉寺でゆっくりしすぎたので、早足で駆け巡り。
バイトの時間に間に合うのか心配。


ご存知、坂本竜馬寓居跡


彦根藩邸跡。
彦根藩井伊家の京屋敷。約千坪ほどあったらしい。


土佐藩邸跡。
土佐藩主 山内家の京屋敷があったところ


本間精一郎遭難之地。
攘夷倒幕論を説き、勢力争いの渦中で疎まれ殺害された。
路地にその際の刀傷があるとのことだが、わからなかった。


勤王志士古高俊太郎邸址。
近江国出身の尊皇攘夷派の志士。
新選組に捕縛され、過酷な拷問により自白。その後、多数の武器と
重要な書類が押収され、翌日の池田屋事変を引き起こすきっかけと
なった。

歴史を訪ねるとたくさんの悲劇に遭遇する。
のほほんと生きていていいのか?って考えさせられる。
不況なんか甘い甘い。

使用カメラ:Kodak M763
コメント
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