ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

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神戸で日本初のオリーブ園が開設された:中西テツさん(神戸大名誉教授)大いに語る

2015-12-07 07:55:16 | スケッチ
(スケッチ&コメント)



神戸で日本初のオリーブ園が開設された:中西テツさん(神戸大名誉教授)大いに語る

江嵜企画代表・Ken


 「神戸に明治12年(1879)、日本最初のオリーブ園が、山本通りに開設された。」
と12月6日、午後4時から始まった第92回酒蔵文化道場での講演会で中西テツさん(神
戸大名誉教授)は話をはじめた。勉強不足といえばそれまでだが、神戸に長年住んで
いる人間でも初耳の人が多いはずだ。その名は「神戸阿利襪園」。フランスから約
550本の苗木を入れ、良質なオリーブを生産した。

 「神戸阿利襪園」は、山本通りとトーアドーロがクロスする1町歩(3,000坪余)の
区画である。現在、神戸北野ホテルや公務員宿舎がある。オリーブ園の南側は、神戸
女子大学の三ノ宮キャンパスやイスラム教会のある筋である。北野ホテルの正面に最
近、記念碑が建てられたと中西先生はプロジェクターに映した。

 なぜ、神戸オリーブ園を作る必要があったのか?それは富国強兵、近代化のために
とられた明治政府による殖産振興政策だった。輸出を促進、一方、輸入を減らした。
政府の殖産政策は、インフラ整備、工業化を進める一方で、茶、生糸などの農産品を
輸出し、外貨を稼ぐ。世界遺産に指定された富岡製糸もその一つである。

 明治政府は、海外産の作物類の試験場を作り試験栽培を行った。農業の近代化,勧
農政策である。オリーブ、ゴム、オレンジ、レモン、ブドウ、ユーカリの6種を試植
した。このうちオリーブの実が土質に適応し、新宿試験場の下に出来た三田育種場、
その下部組織として「神戸阿利襪園」と「播州葡萄園」が誕生した。オリーブ油が伸
びた背景の一つに、オリーブの収益性が米の3倍だったことも影響したと中西先生は
話を進めた。

 西南戦争(明治10年)に伴う資金不足からの紙幣増刷、インフレを解消するため、
財政引き締め、デフレが重なる。明治維新以来、産業近代化のために次々生まれた鉱
山、造船、紡績などほとんどの官営工場や施設が、明治13年(1880)払下げ規則公布
により、民間に払い下げされた。「神戸阿利襪園」もその例外ではなかった。日本最
初のオリーブ園は、神戸は貿易港としてその後大きく発展し、農地が不足したことも
影響して20年足らずで閉園となった。

 現在,楠公さんの名で親しまれている湊川神社に高さ14メートルもの大きなオリー
ブの木があると聞いて二度びっくりした。先の「神戸阿利襪園」のオリーブと一緒に
入れたうちの1本であるといわれていると聞くとロマンが膨らむ。明治末、神戸市内
の人家の庭園に点々とオリーブ樹が植えられていたという。オリーブを神戸の町のシ
ンボルにしょうという動きも出てきている。神戸マラソンの優勝者の王冠に使うよう
にもなった。

 オリーブ油が健康にいいという話は有名である。世界のオリーブ油の生産は300万
トンあるが日本ではオリーブの生産地として知られる小豆島の生産量はわずかに12ト
ンと少ない。ほとんどが輸入品だ。講演の後、質問時間に入った。参加者の一人が
「オリーブをデパートなどで買うが上下幅が大きい」と聞いた。中西先生はエキスト
ラバージンオイルが望ましいと答えた後で、価格も含め、オリーブ油を安心して多く
の人に普及させるお役に立てるよう頑張りますと抱負を述べて講演を終えた。(了)


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