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論語と鍼灸 (11) 鍼灸治療での君子

2011-05-16 15:01:01 | 論語と鍼灸

論語には「君子」という言葉がたくさん使われていますが、君子とは何かというと、『論語力』を執筆した于丹女史(孔健監訳)は、【君子になるには、大まかにいって、いくつかの条件が必要であることがわかります。例えば「善良な人になること」。】と前置きしてから、(顔淵第十二・四)の論語を取り上げています。




【司馬牛(しばぎゅう)、君子を問う。子曰く、君子は憂(うれ)えず、懼(おそ)れず、曰く、憂えず、懼れず。斯(こ)れこれを君子と謂(い)うべきか。子曰く、内に省(かえり)みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え何を懼れん】
(門徒の司馬牛が君子について尋ねました。どんな人が君子と呼ばれるのですか。孔子は答えました。君子はくよくよしたり、ビクビクしたりはしない。そこで司馬牛はさらに尋ねました。くよくよしたりビクビクしたりさえしなければ君子と言ってよいのですか。孔子は答えました。常に自らを反省し、心に恥じるところがなければ、何をくよくよ、何にビクビクすることがあろうか)


つまり、孔子が言いたかったのは、日ごろの善行の大切さで、自分の行為によく考え、疚しいところがなくなるまで反省し続けることは、簡単なようで大変難しいということでした。

このような論語を読んでいますと、鍼灸師だけでなく、君子になるには相当な時間がかかるように思えます。
善行や徳行を積むことが、優しいようで難しいからです。
こちらが徳行と思っても、迷惑だと考える人もいるだろうし、善行を行なったつもりでも、反対側からみれば悪行になることもあるからです。

ただ、孔子の言う君子とは、「理想的な人格の基準」ということですので、常に吾が身を反省しながら修養を続け、周囲を暖かくしてあげている人のように思えます。
だから、孔子は善行を君子の第一の基準においているのだと考えることができるわけです。

鍼灸治療をしながら、最初は誰でもくよくよしたりビクビクしたりするもので、それが無ければ義(正義)も礼(相手を敬う)もないと考えられ、そのうち信(信用)もなくなる人だと考えることができます。

ですから、最初からくよくよビクビクをするな、というのではなく、上達者になったらくよくよビクビクしないということで、それが重みになり威厳になるわけです。
また、やたらに威張り散らすのは軽んじられるだけです。
それは、仁・義・礼・智・信を持って治療に当たってないと考えることができるからです。

初心者であっても、仁・義・礼・智・信を持って治療にあたれば、今の自分の位置での君子となることができるわけです。

仁=相手を思いやる心
義=正義を判断できる心
礼=相手を敬う心
智=知識、見識、胆識(行動力)
信=信用を失わない心や行動
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