中之島蔵屋敷跡調査説明会
江嵜企画代表・Ken
中之島蔵屋敷跡調査説明会が5月10日(土)午後1時から中之島6丁目での共同住宅建設予定地で開かれると淀屋研究家の佐藤正人さんから、時間が許せばいかがですかと、お誘いを受け、楽しみにして出かけた。
淀屋橋から京阪終点の「中の島駅」まで2駅乗った。豪華絢爛の構えの駅構内はひと影もまばら、北にも南にもアクセスがない駅だから至極当然かもしれないが、まるでゴーストタウンの様相を呈していた。
説明会は予定時間通り始まった。江戸時代、各藩は物資を集積、販売するため大坂はじめ多くの都市で「蔵屋敷」をつくった。今回の調査で検出された「蔵屋敷」は、18世紀末~19世紀前半、出羽国矢島を領した生駒氏、幕末には鹿島藩・鍋島氏に使われていたと推測されるとの解説があった。
蔵の横には通路跡がある。堂島川から荷揚げされた物資を効率的に蔵へ搬入できた配置となっている。しかし、「御殿」に相当する建物は見つからなかった。
説明員の解説では、蔵屋敷はそれぞれの藩が所有していたのではなく「倉庫」として借りていた。19世紀には120ほどの蔵屋敷が中の島には立ち並んでいたというからさぞかし壮観だったろうと思われる。
調査の既に終った西地区から出た積み石が展示されていた。それぞれの石に、墨でどこから来たのか、見れば分かるように「お墨付き」と呼ばれた記号が石に書き込まれていた。
調査が終れば東地区も全て埋め戻されて更地になる。見学会に大勢参加した中のさるご婦人が「埋めてしまいはるの?もったいないなぁ」と独り言をいっているのが聞えた。
どこどこ藩「蔵屋敷」跡と石碑でも建てばまだ救いがある。江戸時代、大坂は天下の台所として大いに栄えた。お叱り承知で言えば、京阪「中の島駅」は現代大阪のひとつのシンボルかもしれない。(了)