思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

『よい』(最大のイデア)とは? (哲学?)

2004-11-19 | 恋知(哲学)

『よい』とは、「かたまじめな善」のことではありません。


 生き生きとしていること、輝いていること、しなやかなこと、みずみずしいこと、溌剌(は

つらつ)としていること、高揚感(こうようかん)のあること、自由なこと、愉快なこと、・・・

を指します。


 こうした『よい』は、「エロース」にもと基(もと)づくものであり、「アガペー」からは出てき

ません。

 
 神への愛という飛躍(ひやく)=「反自然」ではなく、具体的経験=生活世界の只中

(ただなか)に「真善美」を見ようとする繊細にして強靭(きょうじん)な心=健康で人間

性豊かな心がつくりだすものです。


武田康弘






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生きる意味ー存在問題への答え(A君への手紙) 哲学?

2004-11-19 | 恋知(哲学)

人間が存在していることの理由を問うことはできません。

「私は何のために存在しているのか?」と問うことは、背理なのです。何のために?誰のために?などと言う目的はありません。私は、ただ人間として存在している=実存しているだけです。

 わたしを取り巻く一切の世界を意味づけ、価値づけ、秩序づけ、目的を与えているのは、人間の意識=私です。私の意識こそが出発点であり、究極の動因なのであり、それが何のため?と問うことは、悪しき形而上学(けいじじょうがく)=宗教にしかなりません。

 この世のすべてに意味を与えているのは、私の幻想価値=イデアであり、人間は、自分を肯定できるような理念やロマンを能産し続ける存在=実存なのです。能産(のうさん)し続けることが出来なくなったとき、人間は、人間としては死ぬのです。

 結論を言いましょう。人間は、自分の幻想価値(理念的―ロマン的世界)を他者という現実に晒(さら)し、試すことで、己の幻想価値をくりかえし吟味(ぎんみ)し、豊饒化(ほうじょうか)させてゆく存在であり、その営みが<人間の生きる意味>になるのです。


武田康弘 


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憧れ・想う世界(Bさんへの手紙) (哲学?)

2004-11-19 | 恋知(哲学)

〈ロマンや理念〉は、〈具体的な目標〉とは異なり、憧れ・想う世界です。決して手の届かない夢の世界ですが、しかしその「幻想価値」なくしては、私たちは人間としての意味をもった生を営むことが出来ません。

 よいことや美しいことを希求し続ける心が失われれば、人間は実存するのではなく、ただ生存しているだけの存在に陥(おちい)ってしまいます。

 手に取ることも目に見ることも出来ないロマンや理念の世界 - よいこと・美しいことそのものの世界 - 憧れ・想う世界、この「幻想価値」の世界が唯一、人間の人間としての生を支えるのです。

 即物的 - 現実主義的な想念の中では、人間は人間として生きることができません。人間にとって真に実在するものとは、価値と意味の世界=「幻想世界」であって、只の事実や只の物質や只のシステムや只の規律や・・・というものは、存在しないからです。

 ロマンや理念、憧れ・想う世界を失えば、人間は、輝き、張りや艶(つや)、悦(よろこ)びや愉(たの)しみを失って、灰色の固まりへと転落してしまいます。
心は消えてしまうのです。

武田康弘

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