思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

情熱 

2004-11-28 | 私の信条

情熱、よいこと・美しいこと=善・美をもたらすのは、情熱の力による。
よく生きるとは、情熱をもって生きることである。
学問や芸術や競技や、を含む人間の生活世界のすべては、情熱によって支えられている。
本来、人間は一人ひとりが太陽だ。燃えているのは自分だ。私もあなたもよく燃えることができるように互いに協力し合うのが人間だ。

情熱が不完全燃焼を起こすと、さまざまな有害物が出てくる。情熱が粘着性をおび、ロマン主義になると、自分だけの正しさの世界から抜け出せなくなり、腐臭を放つようになる。自分を傷つけたり、他人を傷つけたり、自閉的になったり、暴力的になったりする。ロマン主義の一番恐ろしいのは、他者(親子・兄弟・夫婦など近しい関係にある人をも含む)を自分の思い通りにしようとすることだ。一人ひとりが太陽だ、ということを忘れ、他者を支配しようとする心が生じる。

情熱は、善・美を生み出す源泉だが、逆にまた、善・美を目がけているときにだけ、情熱は完全燃焼できる。その時々の気分や、目先の勝ち負けや損得を超えて大きく生きようとするとき、人間はよく命が燃える。私はどこまでも一人の私でありながら、しかも私という自我を超えた大きな存在になる。よき生=幸福とは、命=情熱の完全燃焼が生み出すものだ

情熱を失うと人間は終わってしまう。教育とは、長続きするよき情熱を育てるものだ。単なる技術的な知の伝達ではなく、ロマン主義に陥らない完全燃焼のよき美しい情熱を生むための人間的な努力である。教育者の最大の資質とは、情熱家であることだ。目の前にいる子どもにつき、口先の理屈ではなく、しなやかな柔らかさをもって生きる人、力には屈しない勇気と愛のある人が求められる。本来の教育者は、哲学者(恋知者)である。知恵を愛し、よきもの・美しいものに憧れる情熱家でなければ、人間の生の問題には関われないからだ。

武田康弘





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