思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

?皇族の人権と市民精神の涵養 武田康弘

2004-11-27 | 社会思想

日本の国のありようを考える3部作の最後です。

 靖国「神社」とはなんでしょう。
 国のため?「国」とはなんでしょう。 (記事の下に続いて出ます。) 


  皇族の人権と市民精神の涵養



 天皇制の問題については、ふつうの市民社会の常識にしたがい、本質的に考えれば、答えは実に簡明です。

まず、明治政府がつくった「近代天皇制」とは、現代のシチズンシップ(市民精神)ー>「エリート主義VS市民精神」を参照してくださいーに基づく「人権と民主制」という普遍的な思想の前では、過去の有害な遺物にすぎないことは、火を見るより明らかです。また、古代からの「神話的な天皇像」については今さら言うまでもなく、これに現代的な価値を置くことは、あまりにも馬鹿げた話でしかありません。

 もちろん、個人的に天皇を「崇拝」するのも、皇室を「命」と思うことも自由ですが、国=政府の理念や基本方針として、天皇に神秘的―宗教的な意味を付与し、それを国民統合の象徴とすることは、全世界の良識=市民社会の理念そのものへの挑戦にしかなりません。

 したがって、天皇=皇室というものは、過去の日本の歴史的な遺産として、一般に「旧家」がもつような役割を果たしていくものと位置づければよいのです。
現在の皇族の人々は、基本的な人権を、皇室外の日本人と同じく保障され、一人の人間としての自由と責任の下に生きることが求められ、また許されるべきです。北欧などの王室のように、市民社会に溶け込んだ自然な姿になることがよいことです。現代の市民社会の中に宗教性や神秘性を付与した国家シンボルをつくるなどは、極めて危険でおぞましいことですし、皇室の人々の人権を全く認めない越権行為にしかなりません。

 そのためには、憲法第一章(一条から八条)の天皇条項については、大幅に改めなくてはいけません。
第一条の「日本国民統合の象徴」というような論理的にも現実的にも曖昧でおかしな規定を削除して、「過去の日本の文化遺産を守り伝える歴史的な旧家」として天皇家を正当に位置づけることが求められます。天皇個人については、現憲法が定めている国事行為からは解放し、文化的な国際親善や王室間外交に徹してもらうことが必要です。再び政治的に利用されないために、また彼らが一人の人間として伸びやかな生を送るためにも、一条の改定は避けて通れません。

天皇家が行う結婚や出産や葬儀も、天皇家がその良識の下に判断し行うことであり、国家=政府が関与すべきではありません。
 それらは、家族がその信頼する助言者と共に決定することです。また、財産権を保証すると同時に、生活費も自己負担とすべきです。ただし、皇室としの最低限度の生活が危機に瀕したときには税金で補填すべき道も残しておく必要はあるでしょう。


結論を言います。
一条は、「主権は日本国の市民に存する」と簡明な記述に改定するのがよいでしょう。続けて、「首相は日本国の市民による直接選挙で選ぶ」こと。「天皇及びその家族は、歴史―文化的存在であり、国政に関する権能は持たず、国事行為も行わない」ことを明記すべきです。そうすることで、天皇家の人々に現代社会に見合った新しい活躍の道を開くと共に、その人権を全面的に保証することにもなります。


 次に元号問題です。一人の人間の死によって時代の名称―区分を変えるというのは、古代王政の空間・領土とともに、時間・時代も王が管理するという思想に基づくものですが、この制度が世界に唯一つ生き残ってしまったのがわが国の元号問題です。

 その死によって時代の名称や区分までも変えてしまう制度―誰も手の届かない超越的な人間が存在しているという感覚は、日本人の意識の奥深いところで、個人の自由意識と責任感を萎えさせてしまいます。「対等な個人がその自由と責任に基づいて公論を形成し社会を作り上げていく」という市民社会の原理がボヤケテしまうのです。新たな時代を開き歴史をつくる主体は、市民=公民=社会人としての自分であり、特権者はいないのだ、というシチズンシップ(市民精神)の育成を深層において阻害するのです。「エリート主義」という歪んだ考えを生み出してしまいます。

 また、この元号制度は、世界との通時制―共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生みます。例えば、天皇主権から国民主権へと国の基本のありようが変わっても同じく「昭和時代」などという時代区分で歴史が記述されます。これでは、ほとんど星占いと同じレベルで歴史の意味が語られる!というお粗末にしかなりません。「平成の世」などと言われると、何か分かったような気になってしまい、世界の中の日本という意識が育ちにくくなるのです。パブロ・ピカソー1881年~1973年、棟方志功-明治36年~昭和50年では困ります。

 したがって、年号は、出来るだけ通し番号の「西暦」(事実上の世界暦)で表すようにすべきでしょう。現在、役所は、自民党―中曽根内閣が強行採決で決めた「法律」により、元号を実際上強要されています。北朝鮮も驚く国粋主義!ですが、これは当然逆にすべきです。元号は使いたい人だけが使う、とすればいいのです。
 世界的にはイスラム暦も多く使われているので、ほんとうは、ギリシャのソクラテスの誕生年(紀元前469年)を起点とする暦を「世界暦」とするように国連が各国に提唱すればいいのですが、現在のところ、これは夢物語でしょう。(ギリシャ文化を受け継いだのがアラビア=イスラム文化ですし、仏教思想もギリシャ思想と出自―基本が同じですので、世界的な了解が得られるはずです。)


 次に住居の問題ですが、現在の皇居は、知将―太田道灌が15世紀・室町時代に建てたもので、徳川幕府の拠点―江戸城です。1868年(明治元年)西郷隆盛―勝海舟会談での江戸城無血開城を受けて、京都の天皇家が乗り込み移り住んだわけです。
 しかし、国民主権の新憲法制定後もずっとこの江戸城内に住み続けるというのは、おかしなことです。天皇家には本来の住まいである京都御所へ帰って頂き、自由に暮らしてもらうのがよいでしょう。歴史的にも天皇家は関東地方とは関係がないのです。皇居=江戸城内は、「江戸―市民公園」としてパブリックな場にするのが自然で、よいことです。余談ですが、そもそも天皇家を将門信仰の厚い関東の地に住まわせるのは気の毒というものです。(さらに余分な話をすれば、神田生まれの私の誕生日は、将門を主祭神とする「神田明神」ー『神田祭』の初日!です)


 最後に日の丸と君が代の問題ですが、日の丸は天皇家とは何の関係もありませんので、国旗として問題はありません。戦後すぐならば、戦争責任を明確にする意味で変えてもよかったでしょうが。

 「君が代」の曲は、もともと明治天皇へ捧げられた天皇賛歌ですので、これを国歌とするのは、明らかに間違っています。あくまで、「明治天皇の歌」として残すべきです。この権威的で荘重な曲調は歌いづらく、現代日本には合いませんし、古きよき日本の伝統とも大きく異なります。
中国とも朝鮮とも違う日本文化の特徴は、国学者・本居宣長がいう「もののあはれ」にあります。漢の国の「ますらおぶり」や朝鮮の「真っ直ぐで大らか」な文化に対する大和の魂とは、叙情的な「あはれ」を解するところにあります。優しく細やかな心を表す平易な歌が日本の国には適しているのです。
 私は、誰でも知っている歌―ふるさとへの想いを歌った「故郷」か、日本の国花―桜を歌った「桜」がよいと思います。歌いやすいですし、編曲も容易です。学校の入学式や卒業式などで、もし国歌斉唱が必要ならば、「君が代」の替わりに歌うとよいでしょう。まずは我孫子の小中学校から始めましょう。

 明治天皇賛歌の「君が代」を強制するという所業は、天皇家にとっても迷惑な話でしかないはずです。


 確認と結語です。

 啓蒙時代を経て教育が全成員に普及した現代社会では、「市民精神に基づく民主制」以外の政体は認められない というのが人類史の到達した思想―結論です。個人的領域に限れば、どのような想念も許されますが、社会思想としては、人権を、具体的に言えば国連の「世界人権宣言」を無視することは認められないのです。個人の信仰や信念は最大限に保障されますが、市民社会の原理に反する思想を持つ自由はありません。とりわけ政治権力者が行う一方的な方向付け(現代の日本においては、自民党のタカ派や石原東京都知事の言動)は極めて危険であり、容認することはできません。明治政府―伊藤や山県らが画策した「近代天皇制」の思想に基づく戦争と市民的自由抑圧の政策を是認する考えを現代の為政者がもつことは許されないのです。石原慎太郎のように自分の意向に沿った人間だけを「教育委員」に選定し、自国民絶対主義の教科書を用いて子どもたちの教育にあたることがどれほど恐ろしいことか! ヒトラーも正当な選挙で選ばれ、圧倒的な支持を受けて、ドイツ民族絶対主義による人権抑圧と戦争政策を進めたのです。日本でもドイツでも、「エリート主義」による方向付けがどのような結末を迎えたのか?よく思い起こすことが必要です。

 どこの国、地域で生きようとも、私たちは地球という生態系の中で人間として生きているのです。「人間としての普遍的なよさ」に関心をもつことのできる日本人として子どもたちを育てなければなりません。
 問答―対話による自由と責任の意識=市民精神の育成によって市民自治をつくりだしていくための実践教育が急務です。自治政治は、日本では500年前の戦国時代から全国各地で行われていたのです。戦国武将の統治は、惣村や自治都市や一向宗自治区など民衆の自治政治の上に成り立っていたにすぎません。人類的な普遍性をもっていたわが国の自治政治の伝統を現代に蘇らせるのは、何とも胸踊る作業ではありませんか。

 未来を担う子どもたちと一緒にこの古くて新しい課題に取り組みましょう。
 外的な価値のみを信奉する硬直した官僚組織に乗った国家主義者―国体思想をひきずるいやらしい体質の「おじさん政治家」―権威や権力を持って自己実現を図ろうとする最悪の人間には、早々と退場してもらいましょう。

 最も価値あるもの=至高のものとは、一人ひとりの内面世界です。外なる価値などには惑わされず、自分の良心を中心に生きること。ほんとうのこと・よいこと・美しいことを求め、柔らかでしなやかな強さをもつ不屈の魂を自己の中に育て、その種子を子どもたちの中にしっかりと植え、育てること。それが、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福をかちうることなのです。 ( 2004.8.31 )


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?国のため?「国」とはなんでしょう? 武田康弘

2004-11-27 | 社会思想
神話上の話としてではありますが、「天照大神(あまてらすおおみかみ)は天皇の先祖である」という逆転した話を信じている人が、学者を含めて大勢いるのには驚いてしまいます。

 天照大神とは、太古の人々の自然崇拝の中心にいた太陽神のことです。8世紀の初頭に、他の豪族を退けて政治権力を握った天皇は、自らの権力支配を正当化するための必要から、人々の自然崇拝の中心であった太陽神=天照大神(もともとは土着の豊饒女神と言われる)を「自分たち天皇家の祖先だ」と言ったのです。
 古事記の後半や日本書紀には、日本の八百万(やおよろず)の神々が天皇の先祖として描かれていますが、これは、どこの国でも政治権力を握った者がする「神話と歴史」の創作です。
 そのお話に単純に乗っかって日本人の心やその歴史について語るとしたら、ピント外れの無駄話にしかなりません。言うまでもないことですが、日本人の自然への憧憬と崇拝の心は、天皇支配のはるか以前からのものです。天皇家は、天照大神を自分たちの祖先だ、と宣言することで、人々の神を天皇家の専属にしたのです。

 冒頭の逆転した話を信じている人は、なんと1300年も昔の天皇制律令国家の戦略に今なお呪縛(じゅばく)されていることになります。
 そういえば、小泉首相の後ろ盾、森・前首相は、日本は「天皇を中心とした神の国だ」と言っていました。「能天気が首相を務める官僚主義の国」から早いところ抜け出したいものです。
 
 周知の通り、明治政府は、この古代の天皇制を持ち出して日本の近代化を進めたわけです。『盗まれた神話』(古田武彦著)その他多数の研究書で明らかにされているように「人の褌(ふんどし)で神輿(みこし)を担ぐ」式の記紀神話を、そのまま歴史的―現実的な史実として「近代天皇制」を作り上げた明治政府の所業を反省してみることは、現代なお喫緊の課題でしょう。明治という日本の近代を解剖することなしには、未来への希望も、よき伝統の再生もあり得ないのです。

 近代社会の只中に天皇という現人神をつくり、それを憲法で、主権者=最高権力者と規定し、天皇のために死ぬことは立派なことだ、という洗脳教育をしたわが国の近代―ヒステリックなイデオロギーで現実政治を進めた愚かしさは、どんなに反省しても反省しすぎということはありません。

 戦後、日本社会はその問題と正面から向き合う努力を怠ってきたために、現在、大きな壁にぶつかっているのです。「国体」イデオロギー(注)を引きずってしまい、曖昧模糊(あいまいもこ)とした天皇制とセットになっている官僚主義政治の変革ができないのです。精神的に自立する市民が育たず、市民社会が成熟しません。会社人ではあっても「公民」=社会人になれない未成熟なままの只の「私」としての大人が増えていくという現状に対して、何も見えていない為政者たちは、なんと再び、日本主義―国家主義を持ちだそうとしています。

 表層的な「事実学」だけで、物事の意味や本質についてはほとんど何も知らない日本の「エリート」たちの知的退廃には呆れ返るほかありませんが、その「一般的思想の驚くべき貧困と結びついたシニカルな現実主義」の言動によって、日本の社会はますます混迷の度を深めています。

 シチズンシップのある「市民」を育てない学校教育、時間的余裕を持って社会活動に取り組める制度を作らない経済万能の冷酷な政策、考え・意味をつかむ頭と対話能力を潰(つぶ)すパターン化した受験教育と、そのステレオタイプの知に支えられた愚鈍な官僚主義による社会運営、それこそが、日本人を自由と責任をもった市民にしない一番おおもとの原因です。それを生み出す暗黙のイデオロギーが「国体」ですが、その「国体」については、(注)に記します。

 人間を幸福にしないこの思想とシステムの問題には目をつむり、おかしなイデオロギーを持ち出して、目くらましで人々を欺(あざむ)こうとする為政者(本当は、為政者自身が馬鹿げた観念の虜になっているだけのことですが)には、お互い騙(だま)されぬように充分用心したいものです。私たち市民を守り、勇気づけてくれるもの、それは創造的で変革的な思考力―自分を取り巻く現実について深く、強く、考えてみる実践です。

 そこで、よき日本のこれからの姿について、創造的=現実的に考えてみたいと思います。
 
 言うまでもなく自由と平等は、人類が長い間かけて獲得した普遍的な理念です。人権思想は、個々人の自由と平等を前提としています。生まれによる差別、あるいは特権を認めることは、前提を壊(こわ)すことになります。タブーを持つ社会は、必ず腐敗し、その社会の成員の心を不健康で、歪んだものにしていきます。これは人類史の教訓です。
 明治政府のつくった「天皇制」は、敗戦前までは、天皇と呼ぶ個人に、他の国民と差別した絶大な権利=肥大化した異常な人権?神権?を与え、敗戦後は、 他の国民には保障されている基本的な人権さえ天皇には与えていません。
 冷静に考えれば誰にでも分かることですが、これは、近代以降の社会としては、極めて異常な事態です。これからの「よき日本の国の姿」を考えるためには、まずこの問題を解決することが必要です。
 時間(元号)、空間(住居)、人間性(人権)、の3点を中心に見ていきましょう。

 

(注)「国」とは何か 「国体」とは何か

? 政府(state)―という意味での「国」を作っているのは、私たち一人一人の個人の意思です。衆議院も参議院もその議員=自分の考えを代行する人間を直接選び、また不適格者と考える議員を辞めさせるのは、国民である私たち以外にはいません。「国」(state)が先にあって、私たち個人がいるのではなく、個人が「国」を選び、作っているのは、簡明な事実です。これには議論の余地がありません。
? しかし、文化―生活の仕方や言語を共通にするという意味での「国」は、個々人の決定の前に、習慣―前提としてあるものです。もちろん、文化も個々人の意向によって変化していきますが、惰性性が強いため動きは緩慢で、比較的安定しています。
? さらに気候・風土という国土しての「国」(country)という言葉は、生まれ育った故郷という意味で使われますが、これは、文化・個々人の人生、双方の基盤となっているものです。

 流行や風俗という意味ではない、もっと基本的な生活の仕方-言語-気候風土として意識される「国」(?と?)は、本来、政府―政治思想とは無関係です。当然のことですが、保守主義や右翼―国家主義者、日本万歳の愛国主義者※とは、何の関係もありません。


 こういうイデオロギーを振り回す人間は、自分の人生の疎外感・不全感・ルサンチマンを、国家を信奉する宗教によって克服しようとしているにすぎません。いつも外なる価値を追いかけ回す脅迫神経症者=受験主義の勉強を強要された「エリート」(もちろん偽エリート)やその裏返しでしかない「劣等生」は基本的にみなそうですが、自分の内なる声=内なる欲望を順番を踏んでよきものに高めていくことに失敗しているために、「超越」的な価値を信奉して生きるほかありません。オカルト信仰、大学名の序列信仰、有名信仰、皇室信仰、国家信仰・・・・これらはみな「外的人間」のヒステリー症状です。親の鬱々としたエゴが、子供の心の柔らかな調和=内的充実を育てず、外なる価値を追いかける競走馬にしてしまうために起こる悲劇―惨劇です。いつも知・歴・財の所有の量ばかり気にする神経症=歪んだ心の投影です。一生、自分が自分の人生の真の主人にはなれず、内的な喜びのない人生を歩むことになります。


 長いこと儀礼的―文化的存在であった天皇を現実社会に持ち出し、「天皇を頂く国家主義」を東大法学部出身の官僚によって運営する(政冶家は猿回しのサルにする)という山県有朋の作った明治政府の政治システムは、敗戦後もずっと官僚と癒着した自民党政権により維持されてきました。

 明治から今日まで、この官僚的権威主義というイデオロギーを永続させることを至上の価値と考えている人々は、政府(state)としての「国」(?)に、本来は何の関係もない基本的な生活の仕方-言語-気候風土として意識される「国」の概念(?と?)を重ね合わせる詐術によって、「国体」という日本独自の概念を作り、これを政治思想の基盤としているのです。日本政府が、敗戦後も明治政府の作った「近代天皇制」の存続に躍起となったのは、「国」を一つの実体とする=「家父長制による家族」としての国家を維持するためには、長たる権威者―世襲による天皇を必要としたからです。

 「国体」という意味での「国」という言葉を何気なく日常的に流布させることで、政府(state)としての「国」(?)の基本政策や思想を批判することは、日本という国の総体(?と?)を批判することだ、よって非国民!というレッテル貼りが可能になったのです。
 マスコミも政治家も、いつも、国側敗訴とか国は対策を怠った、と言いますが、これは、行政側とか政府と言わなくてはいけません。聞かされる人は、知らないうちに「政府や官僚制度」が「国」だと思い込まされてしまいます。私たちは、官僚主義の政府を批判するのであり、国を批判するのではありません。

 日本と日本人のよき伝統を生かし、未来を切り開くために、真摯な批判と新たな建設のために努力する真の愛国者を「非国民」として排除し、贔屓(ひいき)の引き倒しのヒステリックな日本主義者―国家主義者をよしとするようなイデオロギーは、百害あって一利なしです。「日本主義者」こそが私たちの国-日本をダメにしてしまう最たる者なのです。

 理解し思考する能力、問題を発見し解決する能力、総合的判断力、吟味し応答する能力、創造力、想像力、企画立案能力、記憶力、人間の関係性を深め広げる能力、直観=体験能力、臨機応変、当意即妙の能力・・・・・・。人間のさまざまな知的能力のうち、記憶力と事務-情報処理能力だけに特化した同じタイプの人間=ステレオタイプの受験勉強を勤勉にこなす頭脳の持ち主だけを官僚政府の「エリート」とする基本政策によって、この「国体」という主義は支えられてきました。 なぜ?なんのために?なにを目がけて? という最も重要な問いを封印し、既存の知をパターン化して記憶するだけの馬鹿を「エリート」とする政策は、現代の日本を暗く重く、生きる価値の薄い、つまらない社会にしています。

 「国体」とは、為政者があらかじめ決めておいた「国」のカタチ―制度に個人をはめ込む、という「人間を幸福にしないシステム」のことです。一人一人の様々な想いー発想を出発点にして、個人の考えを育て、公論を形成し、合意と約束によって国=国家をつくるという近代以降の社会原理とは全く相容れない主義なのです。「人間力」を生かさないこの有害な思想は、内的世界=個人の生きる意味を元から消去してしまいます。外なる価値を追いかけ回す神経症患者だらけのこの国を変えていくのは、他の誰でもない、あなたと私です。



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