「私」がよく生きるには、自分の存在を深く肯定できなくてはなりません。自分を愛し大切にすることが必要です。「自己という中心」をしっかり持って考えることがないと、思考は宙に浮き概念遊戯にしかなりませんし、行為はパターン化してしまい、『生きた言動』ができなくなります。そうなれば、自他のよろこびは減じてしまいます。
しかし、自己の存在を大切なものと思い、受容し、肯定し、愛することは、具体・現実レベルの言動においての自己省察・自己批判がないと、自我主義や自己絶対化に陥っていきます。自己を存在次元において肯定し愛するというのではなく、「私」の具体的現実の言動に無批判的になれば、その人は人間性においては「死んでいる」ということにしかなりません。人間の心・意識・精神とは、いまの状態を越え出ることをその本質としているからです。言い換えれば、【常に変わることで自己同一を保つ】のが人間精神であり、変わり続けていなければ、心・精神は止水が濁るようにダメになっていきます。
具体・現実という次元において自分の言動を吟味し、反省し、批判することは、自己の存在を深く肯定できるようになるための基本条件だと思います。生き生きとした心身・ダイナミックな言動・人間性の魅力とは、具体・現実レベルでの厳しい自己批判の精神が生み出すもの、そうわたしは確信しています。
武田康弘