思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

父の死

2008-10-09 | 日記
以下は、10月1日と10月5日の「白樺ML」の写しです(固有名詞は一部○○に換えました)。


From: 武田 康弘
To: 白樺教育館メーリングリスト
Sent: Wednesday, October 01, 2008 11:03 PM
Subject: [shira_philosophy:3305] 父のことーご報告


武田です。

今日(10月1日)は、父の退院日なので、朝9時30分、文京区の○○病院に行きました。
特定の病気ではなく、全身衰弱(老衰)でもう長くはないので、自宅で最期を看取るための退院です。
病室に入ると、
父は目もうつろでようやく息をしていましたが、わたしの顔を見るや一生懸命話しかけてきます。しかし声にはなりません。「迎えに来たよ、家に帰るからね。」と言うと、分かったという目をして静かに口を閉じました。
とてもタクシーで連れ帰れる状態ではないので、病院側で、寝台車と人の手配をしてくれることになりましたが、午後1時30分になるというので、荷物を持っていったん家(文京区の実家)に帰り、母に様子を話していましたが、
12時に医師から電話があり、どうも1時30分まで持ちそうにないので・・・というので、
急いで病院に行きました。
10分ほど前に呼吸が止まった、ということでしたが、まだ心臓は動いていて、身体は暖かかったです。それから2分後の12時27分に心臓も止りました。最期の命の炎が静かに消えたのですが、いつ消えたのかは分かりませんでした。

その後、葬儀社に電話をし、自宅まで遺体を運んでもらい(午後2時ころ)、葬儀の方法と日どりを決めました。
生前の希望通り、家族葬とし、4日(土)の通夜・5日(日)の葬儀を自宅で行うことにしました。

隣りが武田家の寺である○○寺ですので、4時過ぎに坊さんに来てもらい、枕経をあげてもらいました。

幼いころ、毎日のように、昔話や創作話を聞かせてくれ、スポーツやゲームなどをして遊んでくれ、分からない勉強は意味が分かるように教えてくれた父は、いわゆる父権とはまったく無縁の人で、子供に対して何かを望むということはありませんでした。無類の動物好きで、とても優しく、年を取ってからも知的好奇心を失わない父でした。

以上、ご報告です。

ーーーーーーーーーーーーーーー

From: "武田 康弘" <shirakaba2002@k.email.ne.jp>
To: <白樺教育館メーリングリスト>
Sent: Sunday, October 05, 2008 11:06 PM
Subject: [shira_philosophy:3324] 父の通夜と葬儀のご報告


武田です。

みなさんのメール、棺に入れて亡き父と共に浄土に送りました。どうもありがとうございました。

昨晩の通夜では、○○寺のお坊さん二人と親鸞と蓮如のこと、宗教思想と哲学思想の違い、歎異抄のこと、浄土真宗東本願寺(大谷派)のこと・・・を食事をしながら父の棺の前で語り合いました。

火葬場では、驚かされました。痩せて細かった父の骨が大変しっかりしていたことです。ふつうは崩れてしまう弱い部分も形がそのまま残り、係の人が「こういうことは、あまりないことです。」と話していました。また、骨の量が多く、大きな骨壺でも入りきれず、詰めて入れました。「ふつうの人の倍近くあります。」と係の人が驚いていましたが、わたしも予想外のことでビックリしました。

金テミョンさんの本-『欲望としての他者救済』ではありませんが、父は、誰に対しても親切で、親戚の人の面倒のみならず、他人の面倒もよく見ていました(母の実家である神田の家には地方から上京してきた若い人がよく泊っていました)。父は動物の世話と同じように人間の世話も好きだったのです。「他者救済」という気はなく、ただ自然の心のままにそうしていました。

南無阿弥陀仏
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする