理論が現実をつくる、
新しい理論をつくれば現実を変えられる、
社会思想関係の学者で、そう思っている人が少なからずいるようです。
それでは、どんどん観念的な思い込みの世界に入り、抜けられなくなります。
不可視の構造を解明し、
知らずに囚われている観念の元を明らかにし、
近代社会の原理を自覚し、・・・という作業が現実をよく変える条件であり、
理論が現実をつくったり、変えたりするのではありません。
それは、音楽の理論が曲をつくるのでないのと同じです。
作曲のためには、音楽の基礎理論は必要ですが、理論をつくっても曲ができるわけではありません。
言うまでもなく、作曲は、「主観性の知」の領域であり、「客観学」ではないのです。
よい社会のしくみを生むことや現実変革も、「客観学」ではなく「主観性の知」によります。
こういう基本的な認識に欠けると、理論信仰になって、言語遊戯が偉い!というバカげた話に陥ってしまうのです。
武田康弘
新しい理論をつくれば現実を変えられる、
社会思想関係の学者で、そう思っている人が少なからずいるようです。
それでは、どんどん観念的な思い込みの世界に入り、抜けられなくなります。
不可視の構造を解明し、
知らずに囚われている観念の元を明らかにし、
近代社会の原理を自覚し、・・・という作業が現実をよく変える条件であり、
理論が現実をつくったり、変えたりするのではありません。
それは、音楽の理論が曲をつくるのでないのと同じです。
作曲のためには、音楽の基礎理論は必要ですが、理論をつくっても曲ができるわけではありません。
言うまでもなく、作曲は、「主観性の知」の領域であり、「客観学」ではないのです。
よい社会のしくみを生むことや現実変革も、「客観学」ではなく「主観性の知」によります。
こういう基本的な認識に欠けると、理論信仰になって、言語遊戯が偉い!というバカげた話に陥ってしまうのです。
武田康弘