思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

広告代理店の逆立ちした思想が生む現代文化

2010-05-17 | 社会思想

わたしは、電通や博報堂に代表される広告代理店のもつ思想を大変困ったものと思っています。

彼らがつくる作品は、外面文化そのものであり、心の真実とは無縁です。輪郭線だけで内容が希薄、内面から湧き上がる豊かさを持ちません。現代社会の受動的な「一般化」の象徴であり、「私」からはじまる豊饒とはまったく無縁です。そこにあるのは、紋切り型の美に過ぎず、空虚な形式の世界に過ぎません。

わたしは、以前に、友人の電通マンと一緒に仕事をした経験がありますが、選挙用のポスター写真を撮るのに、あらかじめ彼がきめたイメージ通りの写真を撮影することを求められましたが、そうすると、写真の内容は今ここでという一期一会の本質から外れ、広告マンが頭の中でつくったイメージの僕(しもべ)となってしまうのです。
その時・その場で、撮る人と撮られる人との交流によって生み出される個性の「よさ」の内実ではなく、型にはめられたイメージが先行するために、写真は「つくりもの」となり、死んでしまうのです。生命力の弱い形式美の支配です。過去(事前のイメージ)により現在のかけがえのなさが失われるのです。

このように形式を先行させるのは、人間の存在論を知らない根源的誤謬だと言わざるを得ません。いま立ち昇る豊かな内容が自ずと形式をうむのではなく、形式・パターンが現在を支配するのは管理主義であり、生き生きと今を生きる人間を否定する思想でしかありません。これは恐ろしいことです。

受動性が蔓延し、固い概念や形式によって生きたイメージが抑圧され、「外面的な美」が支配する現代社会を生み出すのは、広告代理店に象徴される逆立ちした思想にあるのです。現代文明の最先端を気取る彼らは、その実、非人間的な「愚かな文化」を生む尖兵に過ぎないのです。自覚と反省が求められます。

武田康弘
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