思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

【国旗】を神聖視するような愚か者は、害あって益なし。

2011-02-17 | 社会思想

「偶像崇拝者」とは、いつの時代も社会によからぬ緊張をもたらし、個々人の人権をないがしろにする人たちでした。

言うまでもないことですが、「旗」を有難がり、旗に敬礼するといのは、愚か者の仕業でしかありません。こどもたちは誰一人としてそんな馬鹿げたことはしません。北朝鮮のように洗脳されていない限りは。

笑えるほどバカでかい「日の丸」を壇上の真正面に掲げることを各地の教育委員会が強制し、学校の入学式や卒業式は、まるで、【国旗が主人公】!!満点大笑いでしかありませんが、こんな「病気」のような儀式をいつの間にやら日本中でするようになっています。

わが日本人は、【集団ヒステリー】で、それゆえに、天皇現人神・挙国一致・八紘一宇というスローガンを掲げて無謀な戦争(満州国でっち上げにはじまる15年戦争)に突入し、惨めな無条件降伏に追い込まれた歴史をもつわけです。だからこそ、その反省にたち、天皇は単なる儀礼を司る者とし(象徴天皇制)、天皇主権を廃止し、主権在民(国民主権)の新憲法を制定したわけです(『憲法研究会』の日本の民間人7名が基本理念をつくった)。

市民、国民の一人ひとりを主人公とし、各々の現場の人間の意志に基づく政治、それこそが民主主義ですが、いつの間にやら、当事者の意思は無視され、昔ながらの「国家主義思想」を引きずる政治家と惰性態にすぎぬ役人の行為に全国民が従わされるという愚かな現実がつくられてしまいました。

もう一度、「民主主義」という思想についてみなが勉強し、「民主的倫理」に基づく人間性豊かな社会をつくるために努力しようではありませんか。経済的成功者ならば、民主主義の哲学も分からず、したり顔でお喋りするだけの者でも評価するという「危険」な現実を変えるのは、あなたとわたしの小さな努力の積み重ねによります。

ともあれ、【国旗・命】というようなあまりにバカバカしくて、論じるのも愚かな事態は、早急に変えなくてはならいはずです。主人公は、こどもたちであり、日の丸ではないのですから。国旗は、旗たてに立てておけばよいのです。当然ですが、卒業式や入学式は、教育委員会や政治家の意向でするものではなく、こどもたちを中心に保護者や教師の「想い」を基にするのです。息苦しい形式優先の儀式はもうたくさんですよね。


武田康弘

コメント (8)
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