思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

権力を批判しないことは非政治的―権力批判をすることは政治的!?

2013-01-21 | 社会批評

日本社会の底知れぬ後進性を現すのが、安倍政権後のマスコミの実態です。

民主制の原理に挑戦するかのような思想(「日本は天皇制の国であり、その歴史に殉じたのが特攻隊員である」)を自著で述べ、ブレーンに「人権思想」を否定する国家主義の学者(『反・人権宣言』の八木秀次氏)を置き、教育再生委員に抜擢する総理大臣を批判しないマスコミとは何なのでしょうか。

戦前からの国家権力者の系譜にある人物への批判はしない!?のであれば、民主的倫理を踏まえた民主主義の国とはいえないでしょう。

わたしは、ひとりの良心をもつ市民としてこのブログで安倍思想を批判していますが、その言辞行為を政治的!?とみなし、わたしの主宰する『白樺教育館』を「政治団体」!?(笑)だとする人まで現れると、呆れるを通り越して笑うしかありませんが、そもそも民主制(=人民主権)を骨抜きにしようとするのは古今東西の権力者の常であり、枢密顧問官のゲーテ(ベートーベンやヘーゲルと同時代のドイツの文学者)でさえ「権力を批判しない者は、悪魔に魂を売ったものだ」と、述べています。

自己保身を正当化する理窟を考え出し(自己武装=理論武装)、公共的意見(それは必ず広義の政治性をもつ)を述べない大人であっては、民主的な社会は築けません。これは原理ですが、実際には、そういう大人で溢れているのがわが日本の現実です。しかし、そうした生き方・考え方を変えない限り、人間味あふれる自由で豊かな〈のびのび社会〉は現実化しません。硬直した言語優先の遵法主義社会(形式と様式主義の国)を変えるには、誰よりも、わたしやあなた(一人ひとり)の古い常識を変えることが必要です。

非民主的な政治権力者の思想を批判するのは、自由のみならず、良心をもつ人間の責務ではないでしょうか。どのような職業についていようとも、誰でもが日本という国に住む一人の人間なのですから。

武田康弘

コメント (2)
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