思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

学力が必要なのは、人生の充実のためであり、国のためではありません。

2013-04-20 | 教育

かつて、フランスの哲学者・文学者のジャン・ポール・サルトルは、ソビエト(現・ロシア)を訪れた時、工場に張られている標語を見て激怒しました。

そこには、
「結核は生産を阻害する」と書かれていました。

 
わが日本人の思想も同じで、「私」の人生をいかに充実させるか、とは考えず、組織や団体の利益のためにどうするか?と発想します。

こども自身の生のよろこびを豊かにするための重要なアイテムとして「学力」がある、とは考えないのです。

そもそも言葉から、思想のゆがみ・逆立ちを感じます。「学」という既存の枠組みを優先させる固い言葉ではなく、もっと広く普遍性を感じさせる言葉=「知」を用いるべきです。

学力ではなく、【知力】です。

そして、知力は、「私」のためにある、これは人間的な生の原理です。

知力は、国や産業界のためにあるのではありません。知的好奇心や知的探求、また、芸術的興味や表現は、なにかのためにあるのではなく、「私」の生のよさ(=意味充実・豊かさ・悦び・面白さ)を広げるためにあるのです。それが結果として社会の役に立つのです。

知力は、自他の生が輝くために、公共世界を広く「私」のものにするためにあるのです。


武田康弘

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