思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ミヒャエル ザンデルリンクの素晴らしいインタビュー記事。

2013-06-27 | 趣味

一昨日ブログに出しました、サントリーホールでのミヒャエル ザンデルリンク・ドレスデンフィルハーモニーの演奏。
その感動を裏づけるようなインタビュー記事を見つけましたので、ご紹介します。スバらしい!!

なお、全文は、クリックで出ます。

Q: そこでマエストロに伺いたいのですが、いま、伝統から生まれる特別な音、とおっしゃいましたね。しかし、どうしてそのような「特別な音」になるのか、私たちはただ「長い伝統から」と言われてもピンとこないので、具体的な要因を知りたいのです。その音は、ずばりどこから、なにから生まれるのですか? ぜひお話ください。

MS: なかなか、鋭い質問ですねえ。まさに、みなさんが不思議に思う点でしょう。しかし・・・言葉で説明しろと言われても・・・(笑)。音楽に携わる私たちの役割は、全てとは言いませんが、ある種「魔法」みたいなもので(笑)。しかし、がんばって説明してみましょう。それは、ドレスデンの地理的な位置に因るところが大きいのです。ドレスデンは、ボヘミア族の住む地域にとても近い位置にあります。19世紀音楽史において、ボヘミア族の音楽は非常に重要です。ドヴォルザークしかり、スメタナしかり、です。彼らの音作りには、深みや濃さ、といったものがあります。たんに「民族音楽」というものではなく・・・音そのものの深み、そして重み、暗さ。そして、家族の起源をその民族にもつ音楽家が、ドレスデンのオーケストラに多数在籍していました。彼らの仕事によって、ドレスデンのオーケストラに独特の音色が構築されたのです。今日もなお、私たちはその創造の恩恵を受けている、というわけです。この音のことを「ドイツ特有の音色」(deutsche wunderHauch)という表現で呼ぶのです。


Q: なるほど。そこまで地域性に根ざしていることを、私たちは知りませんでした。

MS: もうひとつの理由は、政治的な状況です。ここ40年間ほど・・・誤解を恐れずに言えば、ドレスデン人は自信家で、周囲の政治状況にあまり影響されなかったと思うのです。これは、音楽の伝統を保つにはよいことでした。世界はいわゆるグローバリゼーションの時代ですが、私たちは、それに対し無頓着ですらあった、と言ってもいいでしょう。結果として、私たちは、音の独自性を守り抜くことができました。自分たちの気質を誇りに思ってもよいですね。

Q: ご説明、とてもわかりやすかったです。6月に実際に音を聴いてみて、きっと「このことか!」と納得できると思います。

MS: きっと納得していただけると思いますよ。  (うん、十分に納得-武田)

Q: マエストロはすでにチェリストとしてドレスデン・フィルと数多く共演され、また、指揮者としても数年の時間を過ごされていますね。この期間に、ご自分が感じた、オーケストラの音楽的な進歩がありましたら、話していただきたいのですが。ご自身の音楽性についてでもけっこうです。

MS: キーワードはやはり「伝統」なのですが、「伝統とは諸刃の剣で、危険でもある。」という発見をしたことです。何年も同様の演奏様式を踏襲していますと、他の視点から見てみる、ということをしなくなります。「あ、この曲か。」と思うと同時に「演奏法はこれ。」と決めてかかってしまうのです。結果、つまらない、たいくつな音になってしまいます。私がオーケストラのメンバーとともに心がけ、目下、成果が出ているな、と思われるのは、まず、これまでに築き上げられた奏法を守ること、得意とする演目を持ち続けることは大前提です。しかし、同時にその曲の可能性をひろく受け止め、奏法のディティールをもういちど明確化するのです。その曲がいわゆる古典なのか、バロックなのか、近現代、コンテンポラリー奏法によるべきものか、を考えます。このプロセスによって演奏技術は前進すると思うのです。強みは、すでに私のオーケストラが、それらの作業に必要な技術を持っていることです。ハードな練習にも耐えてくれますし、みな、それを楽しみながらこなしています。全員が納得して演奏できるスタイルはどういうものか、可能性を広げるプロセスに燃えていますよ。



Q: 素晴らしいですねえ。マエストロが、ご自分のオケのメンバーを形容するとしたら、どんな言葉で表現しますか?「働き者」ですか、「賢い人たち」ですか、それとも「夢想家」ですか?

MS: (まず大きく笑う)いま、おっしゃった全部ですよ! そしてさらに、なによりまず「意欲あふれる人たち」ですね。音楽に対して意欲があり、新しい発見にむけて意欲があり、発見したものを舞台でショーアップすることにも意欲があり、真の意味で「ライフ・ピープル」、日々生きていることを満喫している人たちだと思います。昨夜の演奏をそっくりそのままくり返せばそれでいい、と思っている人はひとりもいません。毎日が新しいなにかをみつけ、作るためにあるんです。

Q: 聞いていてほんとうに頼もしいです。今回の演目にはベートーヴェンとブラームスの交響曲がありますが・・・まさに「渾身の」プログラムなんですけれども・・・

MS: ・・・はい、そのとおりで。

Q: ドレスデン・フィルが本領発揮するためのプログラムです。

MS: ええ。ドレスデンだけでなく、すべてのドイツのオーケストラにとって主軸となるレパートリーです。そのなかにあってやはり私は、私たちならではの、特別な、現代的な視点に立った演奏をお聞かせできれば、と思っています。これらの古い演目に対して議論される、こんにちの音楽界の信頼してしかるべき主張には、敏感に耳を傾けるべきだ、と考えるからです。すでにここ20~30年ほど、中央ヨーロッパにおいて意識されている「本流追求」の傾向がありますが、私はこの流れを、演奏をもって皆様に知っていただきたいのです。

Q: 日本の音楽ファンは、一般にとても勤勉で、レパートリーや作曲家に関して、かなり知識を持っています。コンサートの観客で、事前に勉強する人も少なくありません。

MS: ええ、よく存じ上げております。

Q: ですが今日は、あえてマエストロに「この曲を聞くのなら、ぜひここを聞きなさい。」というアドバイスを伺いたいのです。

MS: もちろん、いいですよ。どの交響曲について語ればよいですか?

Q: ブラームスの交響曲第1番と、ベートーヴェンの交響曲第7番について、よろしくお願いします。

MS: ブラームスの第1番、これには、明快な解説ができます。ブラームスは、この最初の交響曲を発表するまでに20年の準備を要しました。第1楽章に感じとれるもの、それは「闘い」です。揺るがしがたい・・・ええっと・・・英語で、なんでしたっけ、そう、"Fate"(=運命)です、運命との闘いが、刻まれていくダン、ダン、ダン・・・という、リズムのひとつひとつに聞こえてきませんか。私はそこに、ブラームスが、「私は宿命のもとに20年の迷いの時期を渡ってきた。」という思いをこめていると感じます。そうやって自分自身を前へ、前へと励まし、ついにこのシンフォニーを世に出すときがきた、という、彼の思いです。そこを感じ取ることが、まず、いちばん面白いのではないでしょうか。雄大な交響曲は他にも数多くあります。当時の交響曲は四つの楽章から成り、どの楽曲にも独創性があるわけですけれども、わけてもブラームスのこの作品には、たんなる形式の長短・大小を越えた、「内容」の大きさがあるでしょう。その点において、彼の交響曲第1番は、新しい形式だったのであり、音楽史的にも非常に重要な作品と言えるのです。

Q: ありがとうございます。ベートーヴェンの7番についてはいかがでしょう。

MS: ベートーヴェンの交響曲第7番、これは、特別なシンフォニーですね。有名な「神聖化されたダンス」というワグナーによる形容がありますね。たいへん活き活きしているかと思えば、第二楽章などは葬送曲のような趣があります。そのコントラストが私の興味を引きます。ベートーヴェンが意図したフレージングを追求したいのです。オーケストラや指揮者によっては、各小節の出だしをすべて強調して演奏をする場合がありますが、私はそれを好みません。ベートーヴェンはあきらかに、2小節ごとにまとめている、と見るからです。ところで、ブラームスの第1番も、ベートーヴェンの第7番も、これらの曲が書かれた当時のオーケストラにとって、とても大きな挑戦と言えるものだったのです。そのころは、オーケストラの規模も小さかったですし、演奏技術もまだ十分ではありませんでした。すべてのオーケストラが、現在ほど進歩していなかったわけです。水準が上がった現在でもこれらの演目の演奏は「挑戦」なのですから、当時の指揮者はさぞ骨が折れたことでしょう!(笑)。

コメント
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