思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

独裁者の体質をもつ安倍自民党ー「東京新聞」記事からー戦前を想起させる恐ろしい行為。

2013-07-14 | 社会批評

今朝の東京新聞には、

福島で、「原発に反対か賛成か」の質問プラカードをもった子育て中の女性を、安倍首相関係者と警察の大男たちが取り囲み、質問プラカードを強制的に没収し、住所氏名を言うことを強要し、女性が働く会社名を調べ上げ、没収したプラカードを送りつけたという【事実】が報じられています。

主婦は恐怖のあまり泣き出しました。わたしがいま【事実】と断定したのは、その一部が動かぬ証拠としてビデオに収めらているからです。

自民党政府+警察がめがける政治がどのようなものなのか、がよく分かります。個人の自由を国家のコントロール下におく「近代憲法の常識を覆す憲法改定(もはや憲法とは呼べませんが)」を執拗に実現しようと目論む彼らの正体が象徴された出来事です。

「A級戦争犯罪人」であった岸信介元首相を敬愛・尊敬するという安倍首相と、そのとリまきの男たちや警察の思想的体質がよく分かります。自分の気に食わぬものは、実力行使で排除する。個人の自由・思想信条の自由は彼らの本音にはありません。安倍首相は、参議院で、「個人の尊厳」を定めた憲法13条も、「すべての国民の平等」を定めた14条も、「思想及び良心の自由」を定めた19条も知らないで答えられないという失態を演じましたが、心にないものは記憶さえできないわけです。

自民党の「憲法改定案」にある通り、彼らが考える日本国家とは、天皇や皇室という制度へ疑問をもつ人間は、日本人として認めない、というものです。「個人」と言う言葉もすべて削除されていますが、もはや、内容=実質としての主権在民は否定され、政府に従うものだけを国民とするという戦前の警察国家と同じです。ただし、それをソフトに行う、上手に行う、言い訳しながらおこなう、という点が異なるだけです。

日本国家とは、自民党が正式に明文化=宣言しているように、「天皇を頂くわが国」なのであり、それに疑問をもったり、反論する自由はないということです。日本主義・天皇陛下万歳国家です。したがって逆らうものは非国民。これが彼らが目がける国家です。

【子育て中の主婦の穏やかな質問プラカード】でさえ、警察と自民党が取り上げ、女性を恐怖で泣かすことに罪悪感さえもたぬ人間たちが治める国家に人権も民主主義もありませんが、安倍首相の思想的ブレーンで、安倍首相の肝いりで政府の教育再生委員となっている八木秀次高崎経済大学教授は、「反人権宣言」(ちくま新書)を書き、「われわれは、もはや『人権』という言葉に怯える必要はない、日本人は、国民(日本人)の常識に戻るべきだ。」と声高に主張しているのですから、彼らにとっては当然の行為なのでしょう。 

これが彼ら国家主義者たちの正体です。わが日本人は再び騙されるほど愚かでないことをわたしは切に願っています。再び権力者に誘導され「日本主義」で突っ走って、奈落の底まで落ちるのでは、評すべきことばもありません。

わたしは、恋知者(哲学者)として、また同時に、元「参議院行政監視委員会調査室」客員調査員(憲法の思想的本質=哲学的基盤について講義することが仕事で、「日本経済新聞」でも大きく紹介)としても、
「対等な個人が、互いの自由を尊重し合うことでつくるルール社会」という近代民主主義の思想を逸脱する自民党憲法案と、それを象徴する今回の事件を断じて許すわけにはいきません。「公共的怒り」が沸々とこみ上げてきます。


武田康弘

 

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