これほどデタラメな超憲法の【国家主義】=非民主的な言葉と行為を繰り返すやりたい放題の首相を支持する国民では、自分で自分の首を絞める愚か者というほかありません。
長州の過激な暴力主義を抑えようとした孝明天皇(明治天皇の父)が怪死(伊藤博文らの長州グループに暗殺されたとの見方が極めて有力)することで、明治維新という名の暴力革命が成就し、伊藤ら長州藩の下級武士たちは、自らの権力を正当化して国民を支配するために≪天皇現人神の思想≫をつくったわけですが、そのために『大日本帝国憲法』(伊藤博文が仲間4名と極秘裏に作成)は、天皇から臣民に与えられる恩寵としての憲法(したがって本来の意味の憲法ではない)にすぎませんでした。
主権者を天皇とする欽定憲法の下では、国民は【自立した個人】としては認められず、天皇の赤子=日本の国体を構成する一員としての存在と規定され、学校教育でその思想を教え込まれました。ニッポン国の一員として人々は存在する(存在を許される)のであり、一人ひとりの赤裸々な現実=「感じ・想い・考える」から出発して主権者としての意思で「政府という意味での国」をつくるという社会契約(民主政の基盤)の思想は、弾圧され排除されたのでした。その国体思想を受け継いだ国家権力者の一人が安倍晋三の祖父である岸信介で、彼は東条内閣の重要閣僚として対米戦争の決定者=責任者でもあります。
その祖父を敬愛し、戦後民主主義を嫌う安倍晋三は、「戦後レジーム(体制)からの脱却」をスローガンに掲げ、数々の非民主的な言動を繰り返し、それを国家権力を用いて全国民に強要(教育とマスコミの統制)しようと画策し続けています。
安倍晋三という男ほど国体思想による「戦前日本」への憧れをもつ者も珍しいですが、主権者を「自立する個人としての国民」とする現日本国憲法を大元から変えようとする(立憲主義を知らずに「個人」という言葉まで消去した自民党憲法案)は、意見の違いというレベルを超えた根源的な悪行=民主思想への挑戦というほかないのです。
こういう国体思想(明治の自由民権運動に対する国権派)を許す国民であるならば、内容としての民主政(人権思想に基づく自治政治)は不可能となります。いま、日本は、主権在民を思想の原理として踏まえる国となれるか否かの瀬戸際に立たされています。
わが日本人が、理性をもち、思想=内容としての民主政(民主的倫理に基づく現実政治)を選択することができるか否か、再び、戦前の日本主義(明治維新の思想)に逆戻りしてしまうか、それは、わたしたち一人ひとりの言動にかかっています。皆が個人としての精神の自立=責任意識をもち、国家主義=国体思想の政治家にすり寄る人にならないことを祈ります。
プラス
宮内庁は、明治天皇が小型の額に入れて所持していた有力政治家の写真をしばらく前に公開しましたが、その中で伊藤博文の写真は、われわれの知っている顔とは似ても似つかぬもので、ずる賢い策士のような顔(視線も横)です。父の孝明天皇が怪死した理由をおそらくは知っていた睦仁(わずか16歳のとき、伊藤や山縣らが「現人神」として仕立て利用するために京都御所から江戸城に連れてきた)に見えていた顔、それが彼が所持していた伊藤博文の写真です。わたしは、彼が歴史の真実を残す=伝えるという意思があったように思えてなりません。さらに言えば、睦仁は殺害され、明治天皇は替え玉であるという説もありますが、それについてわたしは判断できません。
明治天皇所持の伊藤博文の写真(クリックで拡大)
武田康弘