思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

冷酷で底意地が悪い人の象徴ーー検察官と裁判官たちの非人間性。

2016-05-31 | 社会批評

冷たい、機械的、硬直、型はまりで、フィロソフィ(恋知)がない。
人間味ある優しさや、他者への思いやりとは無縁。
杓子定規で、豊かさやほんものの知性=理性をもたない、
パターン知の組み合わせー本質的に愚か。
そのような構造の頭脳は、人権感覚を持てないので、冷酷非道な行為が可能です。

生きた人間のもつ自由でしなやかな精神とは無縁だからです。意味に乏しい受験知の所有者は、己を優秀だと思い込みます。底なしのお馬鹿ですが、そういう人間たちがトップに立つ日本には救いがありません。

罪なき者に死刑を言い渡し、死刑を執行する、これは、【人間に可能な最大の悪】です。
制度によって合法として行う「悪」は、あらゆる悪の中で最も酷い悪であることを知らねばなりません。

殺人では、殺される人間は死の瞬間までは、まだわずかでも逃れられる可能性もっていますし、場合により失神状態ですが、制度による殺人=死刑は、逃れることが不可能で、かつ、殺す側に正義があり、冷静に殺すのですから、残酷この上ありません。
無罪で死刑とされ、死刑囚(=最大の悪人)として殺されるその日がいつ来るか、毎夜、毎夜、その瞬間を恐怖し、獄中で生き続ける。   人間にできる最大の残虐行為です。

そういうことのできる人間にだけはなりたくないですし、なってはいけません。
こういう裁判官や検察官の家庭は、内的な心の世界に乏しい不幸な外面主義でしょう。そういう親のもとで育つこどもたちが心配です。


武田康弘




 

 

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