連合国にとって「ポツダム宣言」で絶対条件とした日本の民主化にあたって、明治憲法の改正は必須でした。民主政の根幹は主権在民(個人の意思の集合で政府=国家をつくる)ですが、日本は天皇主権だったからです。
しかし、その要求はのめないとして、政府も、保守二大政党も、天皇主権のままの改正案を示したので、GHQは「ありえない」と突っぱねたのでした。そこに鈴木安蔵(治安維持法での初の逮捕者となった憲法学者)と高野岩三郎(東京帝国大学の教授でしたが帝大に反旗を翻した反骨の人で初代NHK会長)ら民間人7人による民主的な憲法草案(主権は国民にあり、天皇は儀礼を司るのみ)が出たので、これはよい、として参考にもしながらGHQ案をつくったのです。
「個人の意思で国をつくる」は、基本中の基本ですが、「アメリカ占領軍による押しつけ憲法」を排して新しい憲法をつくるという安倍自民党の憲法改正案からは、「個人」という言葉=思想がすべて削除されました。これは、アメリカのみならず、西側諸国の基本思想(社会契約論)の否定ですので、彼らはみな極めて不愉快です。
根本的な思想において、欧米と異なる国体思想(天皇を頂く国家がまず先にあるとする)による憲法は、アメリカ民主政とは相いれませんが、それを、9条改定で、アメリカ軍と一体化する日本軍にするという戦略により、アメリカの反対を抑えて、復古的な自民党憲法を可能にしようという魂胆をもつのが安部首相です。
その腹をよく知っているオバマ大統領は、終始、苦虫を噛み潰したような顔でした。愛想笑いがせいぜい。
今回の広島訪問とそれに向けて入念に練られた見事なスピーチは、たぶんに安倍首相の思想と行動への批判が刷り込まれています。安倍首相の言動を大元から覆そうとする思想が明瞭に示されているのを、わたしは感じ取りました。アメリカ良識派=知性派の平和宣言と見ることも可能です。もちろん右派の意向は異なりますが。
武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員ー「日本国憲法の哲学的土台」を講義)