思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「個人はチームに先立つ」ーいまだに分からないのは日本だけのようです。とても愚かです。

2018-07-05 | 恋知(哲学)

私という個人が感じ・想い・考えるのであり、チームが・学校が・会社が・国が、考えたり、話したりはしません(笑)

私が、「私」のことも、「チーム」のことも、所属する「団体や組織」のことも考えるのです。あくまでも『私』が、感じ、想い、考えるのです。

こういう当たり前のことが踏まえられず、すべては私の意識から始まることを自覚して行為することがとても少ないのが、日本の現状です。

「私」が感じ・想い・考えるのです。それを明晰に意識しないと、何をやってもおかしなことになり、「人間を幸福にしないシステム」が変えられません。

現代でもなお、個人意識=私の想いや考えから出発して普遍性や本質を志向するのではなく、立場上の上位者や官僚政府の側にいる人の言うことに流され、従う人が多いのには呆れ返ります。ほんとうに愚かです。

各自が考えたことをどんどん言い合うこと・聞き合うことではじめて一人ひとりの意識が明瞭になり強くなりますが、これこそが一番大切な営みなのです。

一人ひとりがよくなることが、全体にとっても、結果としてプラスの価値を生むのです。

精神的自立=個人の自由と責任を育て、守り、鍛えなければ、個人にも社会にも幸福・充実・発展は生まれません。

個人を豊かにする以外の方針=「戦前思想」=滅私奉公をつくりだした【天皇教=靖国思想=国家神道】ほど愚かで非人間的な思想はありません。

こういう原理・原則次元の思想を深く明瞭に了解することが、何より必要なのです。

「公」=官僚政府中心の国家主義=人間を団子にする愛国主義は、すべてを破壊する全体主義であり、歴史により敗北した思想です。

シチズンシップ(市民精神)に基づく「公共」世界を開き育むことは、精神的に自立した個人なくしては、不可能なのです。

実存は本質に先立つ、 個人は組織に先立つ、それが分からない国では、お先真っ暗で、戦前に逆戻りです。



武田康弘



 

 

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