「ぼくの音楽武者修行」=音楽の友社刊のオリジナルを、新潮文庫にするとき、本文では、ここだけ変えたのは、ほんとうに残念というか、小澤征爾の名を汚してしまいます。
ぜひ、オリジナル版に戻してほしいと思います。若き小沢の心意気が死んでしまいます。
「カラヤン、なにくそ」
以前、詳しく書きましたので、再録します。2015年1月15日のblogです。
音楽の友社版では、以下のように書かれています。
≪カラヤンの弟子になる の小見出しの 151ページから152ページ≫
「 レッスンになると、カラヤンは指揮台の真下の椅子に腰かけて、ぼくらが指揮しているのを、じろっと睨むように見ている。ぼくは睨まれると、カラヤンの音楽そのものを強要されるような気がした。そこで考えた。こんなことをしているとカラヤンの亜流になってしまう。カラヤンなにくそと思って、ぼく流の音楽を作らなければいけないと固く心に誓った。
しかし一方、カラヤンは教えることに非常に才能があった。・・・・・・」
新潮社による文庫本は、本文は全体としては同じなのですが(音楽の友社版そのままの文庫化)、驚くことに上記の茶色字の部分(本では3行分)が削除されているのです(165ページから166ページ)。
若き血潮ほとばしる小澤のこの決意の言葉=が抜け落ちた文章を通読すると、当時、楽団の帝王として大きな政治力をもっていたカラヤンへの賛美だけとなり、平板で面白味がないだけでなく、小澤の見方と決意=【魂】が消されて、全体はまるで別物の印象となります。
さらに、ここで使われている写真の説明文も変更され、
「カラヤンの指揮でベルリン音楽祭の幕は切っておとされた」という音楽の友社版の事実説明は、
新潮文庫版では、「カラヤンの人気はヨーロッパ全体でもすばらしい。」と賛美の文章に変えられています。
武田康弘