思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

善美を求めない現実主義というおぞましさー集団的精神病の日本人。

2018-09-04 | 恋知(哲学)


人の話はよく聞く。何を言わんとしているかをつかもうとし、耳を傾ける。

そうした上で、
それは違う、と思えば、納得できない、とはっきりと言う。
明瞭に「ノー」と言う。
どこの誰が言うことでも(日本人1億2千万人の誰であれ、人類70数億の人の誰であれ)、「おかしいな」と思うことには従わないこと。
それはよく生きるためにどうしても必要です。

納得できないのに、他者(とりわけ立場上の上位者や権威や権力を傘にする者)の言うなり・思うなりになるのは、精神の奴隷であり、人間としての誇りをもって生きることとは正反対です。

わたしは、政治家とか官僚の多数は、嫌い、というより、彼らは、人間として間違った生き方をしていると見ます。心の本音が「権力」による上下意識に囚われているからです。だから態度が慇懃無礼なのです。権力政治家や忖度官僚のみなさんは、この四字熟語の意味をよく調べてみてください。

 

いまテレビでさかんに宣伝しているセレブとやらいわれる人の生き方などは、人として根本的に間違いです。ばかばかしいほどの贅沢をして悦にるというのは、生きる意味のない人生です。みなのために、よい福祉やよい教育やよい環境のために、あるいは困っている人のためにこそ、お金は意味と価値をもつのです。善美をつくり育てるために、分け与えなければいけません。ほんらい言うも愚かなほど当たり前の道徳です。

こういう当然のことが消え去り、金持ちは偉い!権力者は偉い!というおそろしく歪んだ単純思想をテレビは毎日伝えて、多くの国民は知らぬ間に占脳・染脳されています。お金にしろ権力にしろ、それはほんらい皆のものであり、特定の人間が他者を支配する(現実的あるいは心理的に)ためにあるのではありません。

集団的精神病からの快癒が必要です。恋知の生をこそ!



武田康弘

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