思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

こどもを躾けることはできません。 体罰という暴力の思想は、愚かで恐ろしい。

2019-02-21 | 教育



体罰がしつけ?


躾ける? こどもは「ペット」とは違い「主体性」をもった人間ですので、躾けることはできません。

一緒に遊び、学び、対話することを子育てというのです。子供を躾けることができると思うのは、愚かな妄想です。

何より必要なのは、視線や表情、ボディーランゲージを含む広義の対話です。

親(先生)と子は、心身全体で遊び、お話をするのです。ともに考え、学ぶのです。躾けるのではありません。

子どもを躾けようとする大人は、最低です。常習的な犯罪です。大人は見本や手本を示すことができるだけです。愛ある目をもつこと以上はありません。

子どもを大人のよいと思う型にはめる権利など誰も持っていません。

体罰という名の暴力を容認する思想をもつ人は、人間として終わっています。

 

武田康弘




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